誰かが何とかしてくれるのではなく

何度も書いているのだが、とにかくここ数年はチームをいっぺん解体するくらいの荒療治が必要な年。それは遡れば真弓監督時代まで、もしかしたら岡田監督時代まで遡るかもしれないくらいのチーム作りに関する考え方を見つめなおさなければならないのかもしれない。そして現在若手が活躍している他球団のチーム作りや起用法までも。
そんななかで昨日の試合も現地観戦して感じたことは、プレーする姿から「1人称」でプレーしている選手が少ないということだ。
誰かが出塁してくれる。誰かがヒットを打ってくれる。それだけでも大概なもんだけど、その「誰か」が相手も含んじゃったりしているような気がしたのだ。(相手投手のほうの)藤井が崩れてくれる・・・・・とかね。
その点で大和選手は「自分(私)が」という意思が明確に見えた選手。3番になってちょっと戸惑いがあるようにも見える良太選手も「自分」で何とかしようとしている選手。そういう意味では「自分で」なんとかしようとし過ぎている新井兄さんが力みまくって自分にも制約をつけすぎて失敗している。
でもこれは結果として、4番打者の残した結果としては責められてしかるべきものなんだけど、「自分で」というよりも「自分だけで」なんとかせざるを得ないようなチーム状態であることのほうが問題だったりする。
試合に話を戻せば、悪いほうで1人称が今日も出たのは岩田投手。毎度毎度立ち上がりが・・・・・1人ランナー出しただけで何であんなにテンパるかな・・・・・序盤でというよりも初回で試合の流れを悪くさせてしまう癖っていうか、そういうのを何とかしないと勝てるようにはならん。無援護というのは打線の悪さもあるけど自身のピッチング内容も一因。もっとかてる投手の「はず」という「はず」を取り去る内容にしたいものだ。
ヒットは出るけど得点にならない。チームとして攻撃できていない。円陣組んでも効果が無い。制約つけるんじゃなくて、全員が主役の気持ちで。変につないでどうのこうのじゃなくて、相手が怖さを感じるような思い切ったスイングをするクリンナップでいいじゃない。新井さんなんて振り回せばいいのよ、思い切って。
誰かが点を獲ってくれるのではない。誰かが・・・・・ではなく「俺が」で行こうよ!!俺がヒットを打つ。俺がランナーを進める。俺がランナーを返す。
監督が言っている「原点」というのが結構好きな俺としては、「ここで打ったら、ここで抑えたら、ここで捕ったら、ここで走ったら『俺、すげぇカッコイイ!!』」という野球を楽しんでいた頃の自分を思い出していいってこと。全員がお立ち台を目指して!!是非とも1人称で戦う野球を日曜日に見せてほしい。

誰かが出塁してくれる。誰かがヒットを打ってくれる。それだけでも大概なもんだけど、その「誰か」が相手も含んじゃったりしているような気がしたのだ。(相手投手のほうの)藤井が崩れてくれる・・・・・とかね。
その点で大和選手は「自分(私)が」という意思が明確に見えた選手。3番になってちょっと戸惑いがあるようにも見える良太選手も「自分」で何とかしようとしている選手。そういう意味では「自分で」なんとかしようとし過ぎている新井兄さんが力みまくって自分にも制約をつけすぎて失敗している。
でもこれは結果として、4番打者の残した結果としては責められてしかるべきものなんだけど、「自分で」というよりも「自分だけで」なんとかせざるを得ないようなチーム状態であることのほうが問題だったりする。
試合に話を戻せば、悪いほうで1人称が今日も出たのは岩田投手。毎度毎度立ち上がりが・・・・・1人ランナー出しただけで何であんなにテンパるかな・・・・・序盤でというよりも初回で試合の流れを悪くさせてしまう癖っていうか、そういうのを何とかしないと勝てるようにはならん。無援護というのは打線の悪さもあるけど自身のピッチング内容も一因。もっとかてる投手の「はず」という「はず」を取り去る内容にしたいものだ。
ヒットは出るけど得点にならない。チームとして攻撃できていない。円陣組んでも効果が無い。制約つけるんじゃなくて、全員が主役の気持ちで。変につないでどうのこうのじゃなくて、相手が怖さを感じるような思い切ったスイングをするクリンナップでいいじゃない。新井さんなんて振り回せばいいのよ、思い切って。
誰かが点を獲ってくれるのではない。誰かが・・・・・ではなく「俺が」で行こうよ!!俺がヒットを打つ。俺がランナーを進める。俺がランナーを返す。
監督が言っている「原点」というのが結構好きな俺としては、「ここで打ったら、ここで抑えたら、ここで捕ったら、ここで走ったら『俺、すげぇカッコイイ!!』」という野球を楽しんでいた頃の自分を思い出していいってこと。全員がお立ち台を目指して!!是非とも1人称で戦う野球を日曜日に見せてほしい。
