そんな親子の甲子園
甲子園に行ったときに目に留まるものの1つに、親子で応援に来ている家族の姿がある。
様々な服装に身を包んだ子供の姿は微笑ましいもので、おそらく子供自身は今どんな場所にいてどんなことをしているかなんてことをよくわからない間にそんな格好や桧山ダンスを踊っているんだろうなって思っている。
現に生まれている子供だけじゃなくて、おなかの大きい妊婦さんなんかもいたりして、良い胎教になりますね・・・・というより、椅子の上に立って応援しているけど大丈夫かな?という光景にも出くわした。
子供たちはこういうことを繰り返しながら、やがて立派な阪神ファンになっていくことになるんだろうけど、そういう僕自身は何をきっかけにファンになったんだろう?と思い出しながら、この文を書いている。
人それぞれのきっかけ。僕は縦ジマのユニフォームだった。子供の頃はBSやCSがまだ無くて、僕が住んでいる静岡というところは地上波が巨人戦しか放送しない土地だ。たまに放送される阪神VS巨人の試合のときはテレビの前に座り、戦う縦ジマを夢中になって応援していた。
その縦ジマの選手で小さい体で豪快にかっ飛ばす31番の人が掛布さんで、大きな大きなホームランを打つ22番が田淵さんだったことは、縦ジマを好きになってから知ったことだから、もし縦ジマのユニフォームを他のチームが着ていたら・・・・タイガースファンになるまでもう少しの時間が必要だったかもしれない。
家庭環境なんていうと大げさだけど、やはり幼少期の家庭環境がその後の志向に大きな影響を与えることは、どの球団のファンになるかにも大きく影響されるものだと思う。
幼い頃の我が家は、親が某球団の系列会社で経理事務をやっていたこともあり、野球の帽子をねだればその球団のものをもらってきてしまった。近所のデパートで黒地に黄色いつばが付いている、「H」と「T」の帽子ではなく、当時は何の記号だかわからない、しかもいつもBクラスだった「Y」と「S」の帽子をかぶらされていた。近所の子供は「Y」までは同じでも、もう1文字は「G」であり、そのなかで・・・・というよりも「YS」をかぶっている他の子を見たことが無かったくらい、貴重な幼少時期を過ごしてしまった。
ましてや静岡は公式戦といえば大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)主催試合ばかりで、その相手は中日ドラゴンズかヤクルトスワローズばかり。そのなかで、「YS」に染まらずにタイガースに染まったのは、これもひとえに縦ジマのかっこよさ、掛布さんと細腕で投げまくる小林繁投手のおかげだった。
こういった他からの誘惑、方向付けに惑わされることが無く、阪神ファンになれる甲子園の子供たちが僕は羨ましくてたまらない。まぁ、実際はそんなことも無いんだろうけど関西に住んでいる子供は甲子園に行くと言えば1日くらい学校を休んでも許されるんじゃないかなんて思いたくもなる。
他所様のことはどうか知らないが、タイガースファンでいることは代々受け継がれるべき『世襲の事業』だ。今シーズンは甲子園だけで自身としては過去最多の10試合の観戦を予定している。観戦の回数だけ、微笑ましい親子連れやかっこいい服装に身を包んだ子供たちを見ることができるだろう。そういった子供たちに、余計なお世話だろうけど「これからもずっとタイガースファンでいてくれよ。」とそっと言葉を添えずにはいられない。
そして30面下げて1人で甲子園に出かける僕が言うことではないのだろうが、もしも将来、僕にも子供ができたら、泣こうがわめこうが首根っこを捕まえて甲子園に連れて行き、阪神ファンに育ててみせることだけは、いい加減な性格の僕にでも確約できることなのである。
様々な服装に身を包んだ子供の姿は微笑ましいもので、おそらく子供自身は今どんな場所にいてどんなことをしているかなんてことをよくわからない間にそんな格好や桧山ダンスを踊っているんだろうなって思っている。
現に生まれている子供だけじゃなくて、おなかの大きい妊婦さんなんかもいたりして、良い胎教になりますね・・・・というより、椅子の上に立って応援しているけど大丈夫かな?という光景にも出くわした。
子供たちはこういうことを繰り返しながら、やがて立派な阪神ファンになっていくことになるんだろうけど、そういう僕自身は何をきっかけにファンになったんだろう?と思い出しながら、この文を書いている。
人それぞれのきっかけ。僕は縦ジマのユニフォームだった。子供の頃はBSやCSがまだ無くて、僕が住んでいる静岡というところは地上波が巨人戦しか放送しない土地だ。たまに放送される阪神VS巨人の試合のときはテレビの前に座り、戦う縦ジマを夢中になって応援していた。
その縦ジマの選手で小さい体で豪快にかっ飛ばす31番の人が掛布さんで、大きな大きなホームランを打つ22番が田淵さんだったことは、縦ジマを好きになってから知ったことだから、もし縦ジマのユニフォームを他のチームが着ていたら・・・・タイガースファンになるまでもう少しの時間が必要だったかもしれない。
家庭環境なんていうと大げさだけど、やはり幼少期の家庭環境がその後の志向に大きな影響を与えることは、どの球団のファンになるかにも大きく影響されるものだと思う。
幼い頃の我が家は、親が某球団の系列会社で経理事務をやっていたこともあり、野球の帽子をねだればその球団のものをもらってきてしまった。近所のデパートで黒地に黄色いつばが付いている、「H」と「T」の帽子ではなく、当時は何の記号だかわからない、しかもいつもBクラスだった「Y」と「S」の帽子をかぶらされていた。近所の子供は「Y」までは同じでも、もう1文字は「G」であり、そのなかで・・・・というよりも「YS」をかぶっている他の子を見たことが無かったくらい、貴重な幼少時期を過ごしてしまった。
ましてや静岡は公式戦といえば大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)主催試合ばかりで、その相手は中日ドラゴンズかヤクルトスワローズばかり。そのなかで、「YS」に染まらずにタイガースに染まったのは、これもひとえに縦ジマのかっこよさ、掛布さんと細腕で投げまくる小林繁投手のおかげだった。
こういった他からの誘惑、方向付けに惑わされることが無く、阪神ファンになれる甲子園の子供たちが僕は羨ましくてたまらない。まぁ、実際はそんなことも無いんだろうけど関西に住んでいる子供は甲子園に行くと言えば1日くらい学校を休んでも許されるんじゃないかなんて思いたくもなる。
他所様のことはどうか知らないが、タイガースファンでいることは代々受け継がれるべき『世襲の事業』だ。今シーズンは甲子園だけで自身としては過去最多の10試合の観戦を予定している。観戦の回数だけ、微笑ましい親子連れやかっこいい服装に身を包んだ子供たちを見ることができるだろう。そういった子供たちに、余計なお世話だろうけど「これからもずっとタイガースファンでいてくれよ。」とそっと言葉を添えずにはいられない。
そして30面下げて1人で甲子園に出かける僕が言うことではないのだろうが、もしも将来、僕にも子供ができたら、泣こうがわめこうが首根っこを捕まえて甲子園に連れて行き、阪神ファンに育ててみせることだけは、いい加減な性格の僕にでも確約できることなのである。