【非野球】 スパルタンXで三沢コール
子供のころから俺はプロレスが大好きだった。新日本も全日本も大好きで、今でも週刊プロレスは毎週買っている。
今までプロレスを見ていて驚いたことは沢山ある。橋本選手や鶴田選手のときも驚いた。でも三沢選手の死だけは試合中の出来事だけに言葉が出なかった。
三沢選手の想い出は、やっぱりマスクを脱いでからってことになる。もちろん、最初の若手時代のルー・テーズ杯でアメリカの星条旗柄のパンツをはいた越中選手と決勝で戦った場面をテレビで観ていたことも思い出せるのだが、やはり東京体育館かな?川田選手とタッグを組んで戦っている途中でマスクを脱がせることを川田選手に指示してマスクを脱いで三沢コールが大爆発した場面には俺も驚いた。あれはSWSで選手が離脱した後だったね。
そして超世代軍として戦って、鶴田選手とメインで戦い、バックドロップを切り返されてそれをもう1回切り返してフォール勝ち。肩車された三沢選手の喜びで顔をくしゃくしゃにしていた場面を思い出す。
レスリングに裏打ちされた厳しさもあった。
後楽園ホールで田上選手とシングルで戦った試合。田上選手が三沢選手をロープに押し込んでブレイク。これを2回やったときの2回目に、ブレイクされた三沢選手のほうから田上選手の頬にエルボーを一発。「こいよ、オラッ!!」と発したときに、俺は「これからの全日本は本当にこの人が引っ張って行くんだな。」と思ったのだ。
ヘビー級のレスラーとしては決して大きくない体型であったが、スタン・ハンセンのような大きな相手に遠慮せずに攻め込み、攻めさせるスタイルは見ているこっちが心配だった。それでもリング上では戦い続けた。
もう1つ思い出に残っている場面がある。橋本選手が旗揚げしたZERO-ONEの旗揚げリング上で、他の選手が対戦要求を繰り返していた。この時期になると三沢選手の存在感はプロレス界の中でも格段のものになっており、三沢選手と戦うことがレスラーとしてのステータスになっていたと思う。言い換えれば三沢選手と戦えば目立てるといったら的確じゃないかもしれないけどそんな感じに見えた。
そこで三沢選手が言った言葉がカッコよかった。
「お前らのな、思うとおりにはしねぇよ!絶対!!」
上手く言えないのだが、そこに男の矜持を見た気がしたのだ。
家中のビデオなんかを探しても三沢選手の映像が出てくるかどうかは分からない。これからサムライTVで特集とかするかもしれない。その映像を見て思い出すことは何度でも出来ると思う。でもやっぱりテレビ中継をリアルタイムで見たときのドキドキと感動は、あのときだけのものだ。そしてその記憶は消えるものではないのだ。
三沢選手、他界するのは早すぎるよ。会場には何度も観に行った。入場テーマのスパルタンXの前奏が流れて手拍子が始まり、やがて “ミサワコール”が会場中に広がる。NOAHの会場で感じることができるその光景がなんとも安心感をくれたものだ。きっとこれからもスパルタンXを聴くたびに三沢選手を思い出す。それだけは間違いない。でもその曲の中でリングに上がり、軽く手を上げてコールに応える三沢選手をもう生で見ることができないのがこんなに辛くて寂しいとは思わなかった。それが悲しい。
事実として受け止めるにはもう少し時間がかかると思う。プロレスを見てこれからも三沢選手を思い出す。
三沢光晴選手の早すぎるご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
今までプロレスを見ていて驚いたことは沢山ある。橋本選手や鶴田選手のときも驚いた。でも三沢選手の死だけは試合中の出来事だけに言葉が出なかった。
三沢選手の想い出は、やっぱりマスクを脱いでからってことになる。もちろん、最初の若手時代のルー・テーズ杯でアメリカの星条旗柄のパンツをはいた越中選手と決勝で戦った場面をテレビで観ていたことも思い出せるのだが、やはり東京体育館かな?川田選手とタッグを組んで戦っている途中でマスクを脱がせることを川田選手に指示してマスクを脱いで三沢コールが大爆発した場面には俺も驚いた。あれはSWSで選手が離脱した後だったね。
そして超世代軍として戦って、鶴田選手とメインで戦い、バックドロップを切り返されてそれをもう1回切り返してフォール勝ち。肩車された三沢選手の喜びで顔をくしゃくしゃにしていた場面を思い出す。
レスリングに裏打ちされた厳しさもあった。
後楽園ホールで田上選手とシングルで戦った試合。田上選手が三沢選手をロープに押し込んでブレイク。これを2回やったときの2回目に、ブレイクされた三沢選手のほうから田上選手の頬にエルボーを一発。「こいよ、オラッ!!」と発したときに、俺は「これからの全日本は本当にこの人が引っ張って行くんだな。」と思ったのだ。
ヘビー級のレスラーとしては決して大きくない体型であったが、スタン・ハンセンのような大きな相手に遠慮せずに攻め込み、攻めさせるスタイルは見ているこっちが心配だった。それでもリング上では戦い続けた。
もう1つ思い出に残っている場面がある。橋本選手が旗揚げしたZERO-ONEの旗揚げリング上で、他の選手が対戦要求を繰り返していた。この時期になると三沢選手の存在感はプロレス界の中でも格段のものになっており、三沢選手と戦うことがレスラーとしてのステータスになっていたと思う。言い換えれば三沢選手と戦えば目立てるといったら的確じゃないかもしれないけどそんな感じに見えた。
そこで三沢選手が言った言葉がカッコよかった。
「お前らのな、思うとおりにはしねぇよ!絶対!!」
上手く言えないのだが、そこに男の矜持を見た気がしたのだ。
家中のビデオなんかを探しても三沢選手の映像が出てくるかどうかは分からない。これからサムライTVで特集とかするかもしれない。その映像を見て思い出すことは何度でも出来ると思う。でもやっぱりテレビ中継をリアルタイムで見たときのドキドキと感動は、あのときだけのものだ。そしてその記憶は消えるものではないのだ。
三沢選手、他界するのは早すぎるよ。会場には何度も観に行った。入場テーマのスパルタンXの前奏が流れて手拍子が始まり、やがて “ミサワコール”が会場中に広がる。NOAHの会場で感じることができるその光景がなんとも安心感をくれたものだ。きっとこれからもスパルタンXを聴くたびに三沢選手を思い出す。それだけは間違いない。でもその曲の中でリングに上がり、軽く手を上げてコールに応える三沢選手をもう生で見ることができないのがこんなに辛くて寂しいとは思わなかった。それが悲しい。
事実として受け止めるにはもう少し時間がかかると思う。プロレスを見てこれからも三沢選手を思い出す。
三沢光晴選手の早すぎるご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。