SAMURAI−EYES
それにしても頼りがいが出てきたものだ。そしてよくぞここまで変身したものだ。と関本くんを見るとそう思う。
彼が1軍に勢い良く飛び出したのは2002年。怪我人が続出する中で関本くんはファームからやってきた。荒削りだけど濱中選手と飛距離を競っていた感じがしていただけに飛ぶときは勢い良く飛んでいった。
でも下半身が不安定なこともあり長続きしなかった。
関本くんは当れば飛ぶけど・・・という選手になるかもしれなかった。というよりそういう扱いにされかけていた。
2003年は微妙な位置での活躍だった。そして2004年、僕たちは変身した関本健太郎選手の姿を見ることになる。
あれほど飛ばすことに魅力を感じていた男が飛ばすことを一旦止めた。そして赤星くんを生かすべく、チームバッティングを心がけるようになっていた。チームにとっては不幸だったけど、サードを守るはずのキンケードも片岡さんも怪我で離脱した。開幕スタメンを目指していた男が先発の常連となっていた。
その輝きは打順が2番に固定されてさらに発揮された。先頭の赤星くんが出塁すると、彼は粘り強く赤星くんが走るまで我慢していた。それは関本くんが2番に固定されてからの赤星くんの盗塁数の伸びを見れば一目瞭然だ。赤星くんも「次が右だと走りやすい。」と語っていた記憶がある。そう言わせるだけの貢献があったということだろう。
そして関本くんは必死になって右打ちを心掛け、赤星くんが3塁に到達できるように身を粉にして打っていた。
関本健太郎はホームランを捨てた。しかし代わりに身に付けたのはとてつもなく大切なプロで生きる上での自己犠牲とそれを具現化するバッティング技術だった。
確かに守備範囲はセカンドとしては広いほうではないかもしれない。でも必死でボールを追う姿は彼の心意気を示している。
肩もショートの割には弱いといわれていた。でもサードとしては何とかなっているし、セカンドならやれそうな感じだ。
チームにはかつて、ホームラン打者と期待されたが三振ばかりでベンチにいる日が多くなるが、やがてホームランを追うことを止め、見事にレギュラーに返り咲いた男がいる。関本くんにとって濱中選手がいたように、彼にとっても新庄(現・SHINJO)選手がいた。そう、それは桧山選手のことだ。自分の本当の姿を見つめることは勇気がいることだ。でもそれが出来れば人間は強い。
関本くんは「身近に今岡さんという手本がいる。2ベースを増やしたい。」と言っていた。赤星くんが塁に出れば、2ベースで楽々1点取れる。桧山選手の開いた道を、今岡選手を手本にしながら進めばこれは面白いことになりそうだ。
生まれ変わって2年目の関本くんは大器晩成。長打力があり、広角にも打てる。そして守備も複数ポジションをこなす。こういった選手は長持ちするはず。そう、それはまさに彼の前に背番号3を着けていた選手と存在がだぶる。
打席で目を瞬(しばた)かせる。それは照準を絞って投球を待つ仕草。そのあとに喰らわす乾坤一擲の一振りは相手の命取りにもなり得る。まさにSAMURAI 関本。その視線はSAMURAI−EYES。
2003年の日本シリーズで打ったホームランはかつての自分へのお別れの区切り。2004年型から2005年型へ。背番号3は神様になれる手形のようなものだ。
チームを活かし、自分も活きる。素晴らしいプレーを、魂のこもったプレーを甲子園で観れることを僕は楽しみにしている。
ってことで、関本くんファンのしんさん、こんな感じでいかがでしょうか??
彼が1軍に勢い良く飛び出したのは2002年。怪我人が続出する中で関本くんはファームからやってきた。荒削りだけど濱中選手と飛距離を競っていた感じがしていただけに飛ぶときは勢い良く飛んでいった。
でも下半身が不安定なこともあり長続きしなかった。
関本くんは当れば飛ぶけど・・・という選手になるかもしれなかった。というよりそういう扱いにされかけていた。
2003年は微妙な位置での活躍だった。そして2004年、僕たちは変身した関本健太郎選手の姿を見ることになる。
あれほど飛ばすことに魅力を感じていた男が飛ばすことを一旦止めた。そして赤星くんを生かすべく、チームバッティングを心がけるようになっていた。チームにとっては不幸だったけど、サードを守るはずのキンケードも片岡さんも怪我で離脱した。開幕スタメンを目指していた男が先発の常連となっていた。
その輝きは打順が2番に固定されてさらに発揮された。先頭の赤星くんが出塁すると、彼は粘り強く赤星くんが走るまで我慢していた。それは関本くんが2番に固定されてからの赤星くんの盗塁数の伸びを見れば一目瞭然だ。赤星くんも「次が右だと走りやすい。」と語っていた記憶がある。そう言わせるだけの貢献があったということだろう。
そして関本くんは必死になって右打ちを心掛け、赤星くんが3塁に到達できるように身を粉にして打っていた。
関本健太郎はホームランを捨てた。しかし代わりに身に付けたのはとてつもなく大切なプロで生きる上での自己犠牲とそれを具現化するバッティング技術だった。
確かに守備範囲はセカンドとしては広いほうではないかもしれない。でも必死でボールを追う姿は彼の心意気を示している。
肩もショートの割には弱いといわれていた。でもサードとしては何とかなっているし、セカンドならやれそうな感じだ。
チームにはかつて、ホームラン打者と期待されたが三振ばかりでベンチにいる日が多くなるが、やがてホームランを追うことを止め、見事にレギュラーに返り咲いた男がいる。関本くんにとって濱中選手がいたように、彼にとっても新庄(現・SHINJO)選手がいた。そう、それは桧山選手のことだ。自分の本当の姿を見つめることは勇気がいることだ。でもそれが出来れば人間は強い。
関本くんは「身近に今岡さんという手本がいる。2ベースを増やしたい。」と言っていた。赤星くんが塁に出れば、2ベースで楽々1点取れる。桧山選手の開いた道を、今岡選手を手本にしながら進めばこれは面白いことになりそうだ。
生まれ変わって2年目の関本くんは大器晩成。長打力があり、広角にも打てる。そして守備も複数ポジションをこなす。こういった選手は長持ちするはず。そう、それはまさに彼の前に背番号3を着けていた選手と存在がだぶる。
打席で目を瞬(しばた)かせる。それは照準を絞って投球を待つ仕草。そのあとに喰らわす乾坤一擲の一振りは相手の命取りにもなり得る。まさにSAMURAI 関本。その視線はSAMURAI−EYES。
2003年の日本シリーズで打ったホームランはかつての自分へのお別れの区切り。2004年型から2005年型へ。背番号3は神様になれる手形のようなものだ。
チームを活かし、自分も活きる。素晴らしいプレーを、魂のこもったプレーを甲子園で観れることを僕は楽しみにしている。
ってことで、関本くんファンのしんさん、こんな感じでいかがでしょうか??