Ever green
そこにあることが当然でありながら、やはり一時的にせよ無くなるというものは寂しいものだ。
行く度にそこに当たり前のようにあるから有難味を感じないものかもしれないけど、やはりあることは特別なものだと思えるようになった。
行く度にそこに当たり前のようにあるから有難味を感じないものかもしれないけど、やはりあることは特別なものだと思えるようになった。
初めて見たときの感動を今でも覚えている。いや、行く度に見えてくるとドキドキする。あの緑の向こう側にあるものを想像し、あの緑の中から聞こえる歓声にワクワクする。
新しくはない。でも同じでもない。行く度に違う顔を見せてくれる素晴らしい生き物。
雨に濡れれば艶やかに、春の若葉は初々しく、夏の青葉は雄々しく、秋の紅葉は安らぎを与え、冬は寒そうに素肌を見せてくれる。春夏秋冬を感じることが出来る球場を演出する素晴らしい緑がここにはある。ここにあるものは当然あるものではない。貴重で希少で、どこでも得られるものではない。
日当たりの良い場所とそうじゃない場所で2種類の表情を見せる蔦。その2種類も喧嘩せずに仲良く季節に合わせ表情を変える。
蔦の中には甲子園を守る蛇がいるとも言われている。それも甲子園の1つと言える光景を味わえる。
球場に入り、通路の窓から外をのぞけば、すぐ隣には蔦。緑の衣装の一部に自分も溶け込める。その包容力に包まれるのも気持ち良い。
球状の大きさっていうのは広さや高さだけじゃなく、その球場自体が醸し出す雰囲気がある。
人工の構造物でありながら、まるでそれを感じさせず、呼吸をして1人1人に話かけているかのようなたたずまいを感じさせる。具体的に何を語るわけでもないが、実に雄弁に、そして表情豊かに語りかける。本当に大きな大きな、虎が棲むに相応しい球場だ。
今年の秋からは“健康診断”で、緑の衣装を少しずつ脱ぎ始めている。沢山着込んでいるからナカナカ脱ぎ終わらないし、再び着終わる前には15年近くかかるらしい。
でも15年後に衣装を着終わるまで、みんなずっと待っている。俺も待っている。そして再び緑に包まれる。
住宅あり、43号線あり。その空気を浄化し、野球だけに集中できる場所を作る緑の蔦。入場門前でグッとひと呼吸。胸一杯に緑の息吹を吸い込んで、戦いに向かう。
しばらく見ることが出来なくても、緑は消えない。絶対に消えない。そこにあるものがたまたま無いだけの話だ。
類稀な緑の姿を見せる生き物がそこに棲んでいる。優しく強く、全てを包み見守り、夢を与える姿がそこにある。決して失われない緑を。
Ever green.
新しくはない。でも同じでもない。行く度に違う顔を見せてくれる素晴らしい生き物。
雨に濡れれば艶やかに、春の若葉は初々しく、夏の青葉は雄々しく、秋の紅葉は安らぎを与え、冬は寒そうに素肌を見せてくれる。春夏秋冬を感じることが出来る球場を演出する素晴らしい緑がここにはある。ここにあるものは当然あるものではない。貴重で希少で、どこでも得られるものではない。
日当たりの良い場所とそうじゃない場所で2種類の表情を見せる蔦。その2種類も喧嘩せずに仲良く季節に合わせ表情を変える。
蔦の中には甲子園を守る蛇がいるとも言われている。それも甲子園の1つと言える光景を味わえる。
球場に入り、通路の窓から外をのぞけば、すぐ隣には蔦。緑の衣装の一部に自分も溶け込める。その包容力に包まれるのも気持ち良い。
球状の大きさっていうのは広さや高さだけじゃなく、その球場自体が醸し出す雰囲気がある。
人工の構造物でありながら、まるでそれを感じさせず、呼吸をして1人1人に話かけているかのようなたたずまいを感じさせる。具体的に何を語るわけでもないが、実に雄弁に、そして表情豊かに語りかける。本当に大きな大きな、虎が棲むに相応しい球場だ。
今年の秋からは“健康診断”で、緑の衣装を少しずつ脱ぎ始めている。沢山着込んでいるからナカナカ脱ぎ終わらないし、再び着終わる前には15年近くかかるらしい。
でも15年後に衣装を着終わるまで、みんなずっと待っている。俺も待っている。そして再び緑に包まれる。
住宅あり、43号線あり。その空気を浄化し、野球だけに集中できる場所を作る緑の蔦。入場門前でグッとひと呼吸。胸一杯に緑の息吹を吸い込んで、戦いに向かう。
しばらく見ることが出来なくても、緑は消えない。絶対に消えない。そこにあるものがたまたま無いだけの話だ。
類稀な緑の姿を見せる生き物がそこに棲んでいる。優しく強く、全てを包み見守り、夢を与える姿がそこにある。決して失われない緑を。
Ever green.