【2本立て】 か〜たおか あつし〜♪
タイガースという人気球団での苦労は既に報道でされているからわざわざ書かないけど、生え抜きでもなく、FA移籍で、しかも残念ながらここ数年結果が出ていない選手への引退セレモニーという特別な感じがする場所を用意されていることを見ても片岡選手の野球への姿勢が高く評価されていると思う。
引退記者会見でのコメントで「力がある者ではなく結果を出す者が残るのがこの世界」というようなことをおっしゃっていた。
力は確かにあるかもしれない。でもそれを試合で出し、結果が出なければいけない。実に厳しい世界。プロに入ってくるんだから、力や素質は間違いなくあるのだろう。でもそれを試合で結果という形で出せるかどうかというのは、やはり別物なんだなぁって思わせてくれたコメントだった。
打席にゆっくり入る。関西出身の片岡さんも、きっと掛布さん世代。片岡さんの打席での仕草を見て、私は何回も掛布さんを見る思いがしたものだ。
ユニフォームの色々なところを触り、バットをくるっとさせる。やや背中をかがめ、力をためて打つ瞬間に放出する。まるで掛布さんみたい。ポジションもサードで左打ち。掛布さん世代の俺としても結構好きだった選手だ。その証拠にこのブログでも何回か「タイガースに“アツシ”は何人かいるが、“タイガースのアツシは片岡さんである”」と書いている。今度こそ、今度こそ、と期待をしていた選手だ。
打席で打つ。打った直後に片岡さんの手から離れたバットは反時計回り(推定)でクルクル回りながら1塁ベンチ側に飛んで行く。当たりが快心であればあるほど気持ち良く飛んで行く。それが見れなくなるのは寂しい気がする。
静かに語る。穏やかな眼である。
その穏やかな眼は、数多くの四球を選んできた。打たなくとも四球を選べる。打線をつなぐのは打つだけではなく選ぶことでもあると私に教えてくれた選手だ。また1つ、大人の野球を教えてもらった。打たれるよりも四球で出塁された方が、相手投手に与えるダメージが大きいこともある。
穏やかで静か。でも燃えていないわけが無い。きっと解説者になっても、将来指導者になっても、穏やかさは変わらないだろうけど、内に秘めた闘志と集中力もしっかり伝えてくれるはずだ。
2003年9月15日、あの日お立ち台に上がった片岡選手が残したコメントは「この一打に賭けました。」である。
片岡選手、お疲れ様でした。
引退試合記事はこちらです。
引退記者会見でのコメントで「力がある者ではなく結果を出す者が残るのがこの世界」というようなことをおっしゃっていた。
力は確かにあるかもしれない。でもそれを試合で出し、結果が出なければいけない。実に厳しい世界。プロに入ってくるんだから、力や素質は間違いなくあるのだろう。でもそれを試合で結果という形で出せるかどうかというのは、やはり別物なんだなぁって思わせてくれたコメントだった。
打席にゆっくり入る。関西出身の片岡さんも、きっと掛布さん世代。片岡さんの打席での仕草を見て、私は何回も掛布さんを見る思いがしたものだ。
ユニフォームの色々なところを触り、バットをくるっとさせる。やや背中をかがめ、力をためて打つ瞬間に放出する。まるで掛布さんみたい。ポジションもサードで左打ち。掛布さん世代の俺としても結構好きだった選手だ。その証拠にこのブログでも何回か「タイガースに“アツシ”は何人かいるが、“タイガースのアツシは片岡さんである”」と書いている。今度こそ、今度こそ、と期待をしていた選手だ。
打席で打つ。打った直後に片岡さんの手から離れたバットは反時計回り(推定)でクルクル回りながら1塁ベンチ側に飛んで行く。当たりが快心であればあるほど気持ち良く飛んで行く。それが見れなくなるのは寂しい気がする。
静かに語る。穏やかな眼である。
その穏やかな眼は、数多くの四球を選んできた。打たなくとも四球を選べる。打線をつなぐのは打つだけではなく選ぶことでもあると私に教えてくれた選手だ。また1つ、大人の野球を教えてもらった。打たれるよりも四球で出塁された方が、相手投手に与えるダメージが大きいこともある。
穏やかで静か。でも燃えていないわけが無い。きっと解説者になっても、将来指導者になっても、穏やかさは変わらないだろうけど、内に秘めた闘志と集中力もしっかり伝えてくれるはずだ。
2003年9月15日、あの日お立ち台に上がった片岡選手が残したコメントは「この一打に賭けました。」である。
片岡選手、お疲れ様でした。
引退試合記事はこちらです。