I surrender,Tigers! 〜タイガースには、やられたぜ〜
たった1つのホンの小さな出来事がその人の未来を変えてしまう。そんな出来事は生きていれば何回かあることだ。小さな出来事が重なって少しずつの修正が加えられ時間を過ごして行く。そしてその連続こそが生きているってことなんだろうけど一体何がその時に起こったのかは正確に覚えている出来事ばかりじゃないことだけは確かだ。
人間が幼少期の記憶で覚えているのは何歳頃からのことだろう?それが3歳か4歳くらいからだとしたらおそらく1973〜1974年ごろのことだろう。あのとき、古い家の1階にあるテレビで見たあれがあったから今のこの自分がいる。
それは薄暗い中の黒土に塗(まみ)れてプレーする男たちの姿だった。俺が住んでいる土地では、関西ではない日本中のほとんどの場所と同じように、地上波では巨人戦しか中継しなかった。
『巨人・大鵬・卵焼き』世代ではないけど、それでも住んでいる場所では野球といえば巨人だった。そんな土地で過ごしていた俺たち家族。関西出身というわけでもなく、親戚中を探しても関西出身者はおろかタイガースファンすらいない状況だった。
だからテレビで放送していた野球は巨人戦。そしてそのグランドでプレーしていた「きょじん」の相手は「はんしん」というチームだったことがその時に分かった。最初はそんな程度だった。
それが一体なんだったのか、それを見て自分がどう感じたのか。聞かれても返事に困ることで、それでも比較的正確にその時の感情を言える言葉としては「カッコいいと思ったから。」というものに行き着く。
何をカッコいいと思ったのか?そう言われても返事としては「ユニフォーム」としか言えない。帽子ではない、ユニフォームだ。あのタテジマが子供心に強烈に入り込んで出て行かなくなっていた。それも見た瞬間の映像で。22番が田淵さんで31番が掛布さんと知ったのはもっとあとの話。あとは「はんしん」がテレビに映るのを俺が住んでいる、映像に限りある地域であったが見まくった。朝になればプロ野球ニュースの再放送をやっていたし。
近所のホームセンターで12球団の帽子が売っていた。俺は阪神の帽子が欲しかった。帽子のつばは黄色でかっこよかった。でも親が勤めていたのは某食料品会社。そこを親会社に持つ球団系の帽子を職場からもらってきては被らされた。考えても見ろ!今でもそうだろうけど、その球団のファンには悪いがうちの近所でロッテ(現・千葉ロッテ)、日ハム(現・北海道日ハム)、ヤクルト(現・東京ヤクルト)のいずれかの球団の帽子を被っている子供を見たことないぞ。それを被らされていた。阪神の帽子を被りたかったのに。
それ以降もファンとしては不遇の時代が続いた。だからタイガースの試合をたくさん放送してくれた85年と02年は嬉しかった。
どこから入ってきて、どこで育まれたかは分からない。でもたった1つの「タイガースファン」という名の種子は身体に入り込み、30年以上かけてそれは廃れることも弱ることも無く身体の中で強くなってきた。
初めてユニフォームを見たとき、初めてタイガースの試合を観戦した時、初めて選手の応援グッズを買ったとき。初めて阪神甲子園球場に行ったとき。初めて甲子園周辺で飲んだとき。それぞれの時間が重なって、1つ1つの出来事が続いて愛情は深まった。何度も何度も頭を抱えたり、怒りそうになったり、がっかりしたり、たった1つの勝利をまるで優勝したかのように騒いだり。それを繰り返しながらチームに対する思いは深まり、優しく強く、タフになっていった。
おそらく阪神タイガースは特別なことをしていない。阪神らしいことを何年も続けていて、むしろここ数年、違うことをやり始めている感じだ。そしてそれがそのうちスタンダードになっていくんだろう。しかしその特別なことをしていないタイガースにやられっ放しの自分がいる。
I surrender,Tigers!
タイガースを諦めた。ではない!そうじゃない!!まったく、タイガースには敵わねぇなぁ・・・・・と思わず苦笑というか、それを受け入れてしまう自分であることを実感する。敵わないんだから無理に逆らったって仕方ない。こうなったのも何かの縁だ。っていうか、強烈な運命ってやつなんだろう。30年以上もファンを続けてきたんだから今さら辞められるもんでもない。そんな簡単に辞められるもんならとっくに辞めている・・・・・そんな人も多いだろう。でも辞めることができないのは一瞬の感動や歓び、それがかけがえの無いものだから。その歓びを味わえるのはタイガースでしか味わえないから。
今も俺はタイガースの地元に住んでいない。離れていればいるほど強くなる思いってやつも世の中にはある。ことあるごとに実感するタイガースを好きな気持ち。そんな毎日を過ごすシーズンが今年もあと少しで始まろうとしている。
それは薄暗い中の黒土に塗(まみ)れてプレーする男たちの姿だった。俺が住んでいる土地では、関西ではない日本中のほとんどの場所と同じように、地上波では巨人戦しか中継しなかった。
『巨人・大鵬・卵焼き』世代ではないけど、それでも住んでいる場所では野球といえば巨人だった。そんな土地で過ごしていた俺たち家族。関西出身というわけでもなく、親戚中を探しても関西出身者はおろかタイガースファンすらいない状況だった。
だからテレビで放送していた野球は巨人戦。そしてそのグランドでプレーしていた「きょじん」の相手は「はんしん」というチームだったことがその時に分かった。最初はそんな程度だった。
それが一体なんだったのか、それを見て自分がどう感じたのか。聞かれても返事に困ることで、それでも比較的正確にその時の感情を言える言葉としては「カッコいいと思ったから。」というものに行き着く。
何をカッコいいと思ったのか?そう言われても返事としては「ユニフォーム」としか言えない。帽子ではない、ユニフォームだ。あのタテジマが子供心に強烈に入り込んで出て行かなくなっていた。それも見た瞬間の映像で。22番が田淵さんで31番が掛布さんと知ったのはもっとあとの話。あとは「はんしん」がテレビに映るのを俺が住んでいる、映像に限りある地域であったが見まくった。朝になればプロ野球ニュースの再放送をやっていたし。
近所のホームセンターで12球団の帽子が売っていた。俺は阪神の帽子が欲しかった。帽子のつばは黄色でかっこよかった。でも親が勤めていたのは某食料品会社。そこを親会社に持つ球団系の帽子を職場からもらってきては被らされた。考えても見ろ!今でもそうだろうけど、その球団のファンには悪いがうちの近所でロッテ(現・千葉ロッテ)、日ハム(現・北海道日ハム)、ヤクルト(現・東京ヤクルト)のいずれかの球団の帽子を被っている子供を見たことないぞ。それを被らされていた。阪神の帽子を被りたかったのに。
それ以降もファンとしては不遇の時代が続いた。だからタイガースの試合をたくさん放送してくれた85年と02年は嬉しかった。
どこから入ってきて、どこで育まれたかは分からない。でもたった1つの「タイガースファン」という名の種子は身体に入り込み、30年以上かけてそれは廃れることも弱ることも無く身体の中で強くなってきた。
初めてユニフォームを見たとき、初めてタイガースの試合を観戦した時、初めて選手の応援グッズを買ったとき。初めて阪神甲子園球場に行ったとき。初めて甲子園周辺で飲んだとき。それぞれの時間が重なって、1つ1つの出来事が続いて愛情は深まった。何度も何度も頭を抱えたり、怒りそうになったり、がっかりしたり、たった1つの勝利をまるで優勝したかのように騒いだり。それを繰り返しながらチームに対する思いは深まり、優しく強く、タフになっていった。
おそらく阪神タイガースは特別なことをしていない。阪神らしいことを何年も続けていて、むしろここ数年、違うことをやり始めている感じだ。そしてそれがそのうちスタンダードになっていくんだろう。しかしその特別なことをしていないタイガースにやられっ放しの自分がいる。
I surrender,Tigers!
タイガースを諦めた。ではない!そうじゃない!!まったく、タイガースには敵わねぇなぁ・・・・・と思わず苦笑というか、それを受け入れてしまう自分であることを実感する。敵わないんだから無理に逆らったって仕方ない。こうなったのも何かの縁だ。っていうか、強烈な運命ってやつなんだろう。30年以上もファンを続けてきたんだから今さら辞められるもんでもない。そんな簡単に辞められるもんならとっくに辞めている・・・・・そんな人も多いだろう。でも辞めることができないのは一瞬の感動や歓び、それがかけがえの無いものだから。その歓びを味わえるのはタイガースでしか味わえないから。
今も俺はタイガースの地元に住んでいない。離れていればいるほど強くなる思いってやつも世の中にはある。ことあるごとに実感するタイガースを好きな気持ち。そんな毎日を過ごすシーズンが今年もあと少しで始まろうとしている。