image of happy ending
誰もがそれを見に来ている場所。それが昨日の甲子園だった。
規定投球回数に届かない投手の最多勝、最高齢の最多勝投手など様々な勲章が取りざたされたけど、試合が終わった時点でそんなことを覚えている場合じゃない試合だった。
2003年に日本ハムファイターズから移籍してきた下さんはタイガースでは先発として働くこととなった。
力任せに投げていた時期を脱してタイガースにきた下さん。2003年の優勝も経験した。2004年は勝ち星も減った。
「下さんなら7イニング3失点で御の字」なんて評価もあったけど、今となっては失礼な話で今年の下さんからはそんな評価は消えていた。
交流戦での千葉ロッテとの試合、井川で勝てなかった日の次の試合、優勝を決めた試合、節目節目ではマウンドで投げる下さんの姿が必ずあった2005年。その集大成を見せる試合が昨日だった。
いつものように、コーナーを広く使い下さんは投げ続けた。負けるなんてことは誰も思っていない。
雨が降っても泰然自若。慎重にロジンに手を当て、白い粉を飛ばしながら矢野さんのミットに投げ込む。先制されても動揺する素振りを見せない。
「逆転してくれるだろ?」そんな言葉が背中から聞こえる。
相手の門倉投手も好投を見せるけど今岡選手の球団新記録の打点と鳥谷くんのHRで同点になる。イニングはとっくに終盤に入っている。いつもの下さんならとっくにJQKに任せている頃だ。でも誰もが分かっている。「今日だけは同点のままではダメだ!」と。
下さんが打席に入る。下さんがマウンドに登る。そのたびに悲鳴にも似たような歓声と、祈る気持ちが交錯する。誰もが望んでいるのは下さんが勝つこと。下さんで勝つこと。
ランナーを背負う展開が多くなったのは気のせいだろうか?投手としてのスタミナにはボールを握る握力も含まれる。甘く入るたびに下さんの握力が心配になってくる。
でも下さんは投げ続ける。代えるな!代えないでくれ!代えてたまるか!たくさんの魂が下さんを後押しする。いつもなら代打の場面でも下さんは打席に立つ。打席に入れば1人の打者として下さんは戦う。
そして訪れた10回裏。試合は左打者が甲子園でホームランを打つときの見本のような当りで幕を閉じる。背中で引っ張る投手に対し、背中を見てプロの世界を知った選手から授業料代わりの大きなお礼だった。アニキが打っても良かった。今岡選手でも良かった。でも鳥谷くんで良かった!!数年後は背中で引っ張る立場になっていて欲しい鳥谷くんでよかった。そう思えた一撃だった。
汗に濡れたアンダーシャツを着替えるためか、ユニの上半身はボタンを外し、下はベルトを緩めた格好で出てくる下さん。鳥谷くんを迎える姿からは「野手の皆さんのおかげです。」というコメントなんだろうなぁ。と思ったものだが、それ以上に野手のみんなが「下さんのおかげです。」と言ってくれるに違いない光景だった。
誰で勝っても嬉しい。誰が勝っても嬉しいけど、それでも今日だけは下さんで勝ちたかった。この試合だけは下さんで勝たなきゃダメだった。その気持ちが1つになった10月5日の甲子園球場。球場にいても、テレビの前でも、ラジオの前でもパソコンの前でも、それをリアルタイムで感じた全ての人の気持ちが1つになったと感じていた。
ビハインドがあっても、同点でも、それでも負けるなんてことは考えもしなかった。考えていたのは、どんな勝ち方をするのか。どうやって勝つのか。それしかなかった。そしてそれは、想像以上に素敵な光景として現実となった。勝利が決まった瞬間、下さんを胴上げしたって良かった。勝ちを狙いに行って本当に勝つ。阪神タイガースは本当に素晴らしいチームになった。
下さんの背番号の「42」という数字はメジャーでは全球団共通の永久欠番となっている。現時点で着けている選手を最後に誰も着けることはなくなる番号だ。
「42」という数字の重み。それはメジャー初の黒人選手、ジャッキー・ロビンソン選手に敬意を表し、偉業を称えるために全ての球団が決めたものだ。人種差別に歯を食いしばり、彼が筆舌に尽くしがたい苦労を重ねて歩んだ道は、のちにメジャーの世界へ飛び込む多くの白人ではない選手のための道となった。
一方、タイガースにおいて「42」番を背負う下さん。国も時代も違うけど、それでもチーム最年長投手として、タイガースの若い選手の道標となる活躍で道を切り拓く。
魯迅の『故郷』という作品の最後に「もともと地上には道が無い。歩く人が多くなればそれが自然と道になるのだ。」というものがある。下さんが切り拓く道。そしてそれを歩む選手たち。最初は1人通れるくらいの広さしかないかもしれない。でもタイガースの次の世代を担う連中が大勢で通れば立派な常勝軍団への道となる。
シャイで寡黙な下さんだけど、背中は誰よりも雄弁に、そして誰にも分かりやすく語りかける。人それぞれにあるんだろうけど、こういう猛虎魂があってもいい。
「勝てたらいいな。」!下さんの名セリフ。でもその言葉が額面通りであるわけが無い。下さんが言う「勝てたらいいな。」は「絶対に勝つぞ!」という意味。でもそんなこと言ったらみんなが力むだろうから言い方を変えた言葉だと思っている。
2003年の優勝時、下さんは「俺を放出したダイエーに絶対勝ちたい。」とおっしゃったと記憶している。でも下さんは勝ったがチームは負けた。そして今年。
プレーオフ次第では相手チームは分からないけど、それでもソフトバンクが第1コンテンダーであることに変わりはない。リベンジとか復讐とか、そんな言葉で表現できない。ただ見せたいのは「男の意地」だ。
大勢の前では「勝てたらいいな。」。でも背中はそうは言ってない。そしてそれは今ではみんなが気付いている。全てを切り拓く運命の背番号42番は、2週間後に迫った舞台で、また新たな道を切り拓いてゆく。
規定投球回数に届かない投手の最多勝、最高齢の最多勝投手など様々な勲章が取りざたされたけど、試合が終わった時点でそんなことを覚えている場合じゃない試合だった。
2003年に日本ハムファイターズから移籍してきた下さんはタイガースでは先発として働くこととなった。
力任せに投げていた時期を脱してタイガースにきた下さん。2003年の優勝も経験した。2004年は勝ち星も減った。
「下さんなら7イニング3失点で御の字」なんて評価もあったけど、今となっては失礼な話で今年の下さんからはそんな評価は消えていた。
交流戦での千葉ロッテとの試合、井川で勝てなかった日の次の試合、優勝を決めた試合、節目節目ではマウンドで投げる下さんの姿が必ずあった2005年。その集大成を見せる試合が昨日だった。
いつものように、コーナーを広く使い下さんは投げ続けた。負けるなんてことは誰も思っていない。
雨が降っても泰然自若。慎重にロジンに手を当て、白い粉を飛ばしながら矢野さんのミットに投げ込む。先制されても動揺する素振りを見せない。
「逆転してくれるだろ?」そんな言葉が背中から聞こえる。
相手の門倉投手も好投を見せるけど今岡選手の球団新記録の打点と鳥谷くんのHRで同点になる。イニングはとっくに終盤に入っている。いつもの下さんならとっくにJQKに任せている頃だ。でも誰もが分かっている。「今日だけは同点のままではダメだ!」と。
下さんが打席に入る。下さんがマウンドに登る。そのたびに悲鳴にも似たような歓声と、祈る気持ちが交錯する。誰もが望んでいるのは下さんが勝つこと。下さんで勝つこと。
ランナーを背負う展開が多くなったのは気のせいだろうか?投手としてのスタミナにはボールを握る握力も含まれる。甘く入るたびに下さんの握力が心配になってくる。
でも下さんは投げ続ける。代えるな!代えないでくれ!代えてたまるか!たくさんの魂が下さんを後押しする。いつもなら代打の場面でも下さんは打席に立つ。打席に入れば1人の打者として下さんは戦う。
そして訪れた10回裏。試合は左打者が甲子園でホームランを打つときの見本のような当りで幕を閉じる。背中で引っ張る投手に対し、背中を見てプロの世界を知った選手から授業料代わりの大きなお礼だった。アニキが打っても良かった。今岡選手でも良かった。でも鳥谷くんで良かった!!数年後は背中で引っ張る立場になっていて欲しい鳥谷くんでよかった。そう思えた一撃だった。
汗に濡れたアンダーシャツを着替えるためか、ユニの上半身はボタンを外し、下はベルトを緩めた格好で出てくる下さん。鳥谷くんを迎える姿からは「野手の皆さんのおかげです。」というコメントなんだろうなぁ。と思ったものだが、それ以上に野手のみんなが「下さんのおかげです。」と言ってくれるに違いない光景だった。
誰で勝っても嬉しい。誰が勝っても嬉しいけど、それでも今日だけは下さんで勝ちたかった。この試合だけは下さんで勝たなきゃダメだった。その気持ちが1つになった10月5日の甲子園球場。球場にいても、テレビの前でも、ラジオの前でもパソコンの前でも、それをリアルタイムで感じた全ての人の気持ちが1つになったと感じていた。
ビハインドがあっても、同点でも、それでも負けるなんてことは考えもしなかった。考えていたのは、どんな勝ち方をするのか。どうやって勝つのか。それしかなかった。そしてそれは、想像以上に素敵な光景として現実となった。勝利が決まった瞬間、下さんを胴上げしたって良かった。勝ちを狙いに行って本当に勝つ。阪神タイガースは本当に素晴らしいチームになった。
下さんの背番号の「42」という数字はメジャーでは全球団共通の永久欠番となっている。現時点で着けている選手を最後に誰も着けることはなくなる番号だ。
「42」という数字の重み。それはメジャー初の黒人選手、ジャッキー・ロビンソン選手に敬意を表し、偉業を称えるために全ての球団が決めたものだ。人種差別に歯を食いしばり、彼が筆舌に尽くしがたい苦労を重ねて歩んだ道は、のちにメジャーの世界へ飛び込む多くの白人ではない選手のための道となった。
一方、タイガースにおいて「42」番を背負う下さん。国も時代も違うけど、それでもチーム最年長投手として、タイガースの若い選手の道標となる活躍で道を切り拓く。
魯迅の『故郷』という作品の最後に「もともと地上には道が無い。歩く人が多くなればそれが自然と道になるのだ。」というものがある。下さんが切り拓く道。そしてそれを歩む選手たち。最初は1人通れるくらいの広さしかないかもしれない。でもタイガースの次の世代を担う連中が大勢で通れば立派な常勝軍団への道となる。
シャイで寡黙な下さんだけど、背中は誰よりも雄弁に、そして誰にも分かりやすく語りかける。人それぞれにあるんだろうけど、こういう猛虎魂があってもいい。
「勝てたらいいな。」!下さんの名セリフ。でもその言葉が額面通りであるわけが無い。下さんが言う「勝てたらいいな。」は「絶対に勝つぞ!」という意味。でもそんなこと言ったらみんなが力むだろうから言い方を変えた言葉だと思っている。
2003年の優勝時、下さんは「俺を放出したダイエーに絶対勝ちたい。」とおっしゃったと記憶している。でも下さんは勝ったがチームは負けた。そして今年。
プレーオフ次第では相手チームは分からないけど、それでもソフトバンクが第1コンテンダーであることに変わりはない。リベンジとか復讐とか、そんな言葉で表現できない。ただ見せたいのは「男の意地」だ。
大勢の前では「勝てたらいいな。」。でも背中はそうは言ってない。そしてそれは今ではみんなが気付いている。全てを切り拓く運命の背番号42番は、2週間後に迫った舞台で、また新たな道を切り拓いてゆく。