Happy は 分け与えてナンボのもの
「阪神を応援できるあなたは幸せですよ。」とは職場で隣に座る職員さん(Iさん)がおっしゃった言葉だ。曰く「自分以外の人のことを応援できるってことは幸せである。」。もっと言えば、自分のことで一杯イッパイな人は、他人のことを応援している場合じゃない、だから自分以外の人を応援できることを幸せと感じましょう。ってことを伝えたいということだった。
言われてみれば確かにそうだ。僕の場合なんかも仕事を休み、私生活ではできる限り出費も抑え、一時期を除いて彼女も作らず(っていうか、出来ず)、ただひたすらタイガースを応援することだけに捧げているような年数が、気がつけば8年近くになった。
ってことは、Iさんの考え方に沿うならば、僕は8年以上は連続して幸せだということになる。ん?いや、タイガースを今みたいに好きなのは子供のころからだから気がついたときから俺はずっと幸せだったんだ。ん?そうか??
前述の8年っていうのは、実際に甲子園に行き始めてからの年数だから、この8年は「特に幸せだった」年数なんだなぁ。そうだ、そういうことだ。
さて、そのタイガース。幸せの対象とするには相手にとって不足は無いくらいの相手である。いつも言っていることなのだが、僕のように地方から甲子園に行くと地元でタイガースを応援する人がいるからこそ、自分たちも応援できるってことに気づくときがある。もちろん離れていてもタイガースを愛する気持ちに変わりはないんだけれど、地元の方たちと応援する時の気持ちは、はっきり言って僕の地元で応援するときとは、僕にとっては全然違う。
「『幸せ』は分け与えてこそ、ナンボのもの」らしいが、そういう点じゃ自分以外のものをあれほどまでに応援できる『幸せ』をたくさん持った人たちと甲子園で触れ合えば、こちらも幸せになるのは当然のことだって思う。その『幸せ』を分けてもらって帰ってきて、また次の『幸せ』をもらいに甲子園に行く。そして帰ってきて、その感動を甲子園にいけない人に分け与える。金は天下のマワリモノだが、幸せを独占することも難しいことだ。
甲子園には魔物が棲んでいるとか言われるけど、魔物っていうよりは魔法をかけてくれるモノが棲んでいるんじゃないかって思う。そしてその生き物は甲子園に敬意を持って訪れるものには等しく分け前を与えてくれる気がしている。
甲子園への敬意。ビデオに撮っている方は是非注目してほしいが、平成15年10月7日、読売を辞めてゆく原辰徳監督(当時)は最後の挨拶で、甲子園を「阪神甲子園球場」とただの1回も、最後まで球場名を略さずに感謝の言葉を述べている。こうした敬意を表せる人には甲子園の人たちも優しさを見せる。それがあの試合の光景を生み出したんじゃないかと思う。
・・・・・甲子園にいこうよ♪ 甲子園に向かって一歩踏み出そう。そこには阪神甲子園球場という聖地が、阪神タイガースが、そしてずっと前から、どんなときも阪神(自分以外)を何よりも大切に応援しつづけてきた『幸せ』を沢山抱える人たちが、手をこまねいて分け前を用意して待ち続けている。
言われてみれば確かにそうだ。僕の場合なんかも仕事を休み、私生活ではできる限り出費も抑え、一時期を除いて彼女も作らず(っていうか、出来ず)、ただひたすらタイガースを応援することだけに捧げているような年数が、気がつけば8年近くになった。
ってことは、Iさんの考え方に沿うならば、僕は8年以上は連続して幸せだということになる。ん?いや、タイガースを今みたいに好きなのは子供のころからだから気がついたときから俺はずっと幸せだったんだ。ん?そうか??
前述の8年っていうのは、実際に甲子園に行き始めてからの年数だから、この8年は「特に幸せだった」年数なんだなぁ。そうだ、そういうことだ。
さて、そのタイガース。幸せの対象とするには相手にとって不足は無いくらいの相手である。いつも言っていることなのだが、僕のように地方から甲子園に行くと地元でタイガースを応援する人がいるからこそ、自分たちも応援できるってことに気づくときがある。もちろん離れていてもタイガースを愛する気持ちに変わりはないんだけれど、地元の方たちと応援する時の気持ちは、はっきり言って僕の地元で応援するときとは、僕にとっては全然違う。
「『幸せ』は分け与えてこそ、ナンボのもの」らしいが、そういう点じゃ自分以外のものをあれほどまでに応援できる『幸せ』をたくさん持った人たちと甲子園で触れ合えば、こちらも幸せになるのは当然のことだって思う。その『幸せ』を分けてもらって帰ってきて、また次の『幸せ』をもらいに甲子園に行く。そして帰ってきて、その感動を甲子園にいけない人に分け与える。金は天下のマワリモノだが、幸せを独占することも難しいことだ。
甲子園には魔物が棲んでいるとか言われるけど、魔物っていうよりは魔法をかけてくれるモノが棲んでいるんじゃないかって思う。そしてその生き物は甲子園に敬意を持って訪れるものには等しく分け前を与えてくれる気がしている。
甲子園への敬意。ビデオに撮っている方は是非注目してほしいが、平成15年10月7日、読売を辞めてゆく原辰徳監督(当時)は最後の挨拶で、甲子園を「阪神甲子園球場」とただの1回も、最後まで球場名を略さずに感謝の言葉を述べている。こうした敬意を表せる人には甲子園の人たちも優しさを見せる。それがあの試合の光景を生み出したんじゃないかと思う。
・・・・・甲子園にいこうよ♪ 甲子園に向かって一歩踏み出そう。そこには阪神甲子園球場という聖地が、阪神タイガースが、そしてずっと前から、どんなときも阪神(自分以外)を何よりも大切に応援しつづけてきた『幸せ』を沢山抱える人たちが、手をこまねいて分け前を用意して待ち続けている。
11.24