小鉄さんが亡くなってしまった
そんななか、新日本プロレスで活躍した山本小鉄さんがお亡くなりになったとニュースで知った。
小鉄さんといえば選手としての活躍だけじゃなく、レフェリーとしても大活躍の人だった。
新日本プロレスのメインの多くはミスター高橋さんが裁いたが、特別試合などでは小鉄さんがリング上を裁いた。(あとはレッドシューズ・ドゥーガンとか)
俺にとってレフェリーとしての小鉄さんの思い出は、アントニオ猪木VSラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の1対3の試合である。この形式で2回戦ったはずだが、初戦を裁いたのが小鉄さんだった。
何度も場外に落ち、最後はロープに脚が引っかかり猪木さんがリングアウト負けしたのであるが、このときリング上でマイクを持ってカウントを数えたのが小鉄さんだった。
そのほかは解説者としても活躍。金曜8時のワールドプロレスリングは古舘さん、小鉄さん、そして東京スポーツの櫻井さんの3人が揃った放送席が映るのがスタンダードだった。
引退後も鍛えている体は立派で、そして愛妻家としても色々なところでメッセージを伝えていたのを思い出す。
そんな中で俺が一番印象に残っている場面がある。大仁田厚が新日本に参戦するときのインタビューで、なぜか小鉄さんが登場。そこで小鉄さんは大仁田を挑発したのだ。
確か「どうだ大仁田?俺とやってみるか?」と語ったその直後、「ま、無理だろな。」という強烈な一言。これぞ小鉄さん!この気持ちがあったからこそ小さな体で渡り歩いてきたんだな。と思ったらとても嬉しく、そして興奮したことを覚えている。
もっと姿を見たかったし、もっと解説を聞きたかった。寂しいなんてもんじゃない。三沢さんがお亡くなりになったときとは違う悲しみと寂しさを感じている。どうか小鉄さんの精神がいつまでも受け継がれますように。
山本小鉄さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。これからもずっとプロレスを見ていきますね。
小鉄さんといえば選手としての活躍だけじゃなく、レフェリーとしても大活躍の人だった。
新日本プロレスのメインの多くはミスター高橋さんが裁いたが、特別試合などでは小鉄さんがリング上を裁いた。(あとはレッドシューズ・ドゥーガンとか)
俺にとってレフェリーとしての小鉄さんの思い出は、アントニオ猪木VSラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の1対3の試合である。この形式で2回戦ったはずだが、初戦を裁いたのが小鉄さんだった。
何度も場外に落ち、最後はロープに脚が引っかかり猪木さんがリングアウト負けしたのであるが、このときリング上でマイクを持ってカウントを数えたのが小鉄さんだった。
そのほかは解説者としても活躍。金曜8時のワールドプロレスリングは古舘さん、小鉄さん、そして東京スポーツの櫻井さんの3人が揃った放送席が映るのがスタンダードだった。
引退後も鍛えている体は立派で、そして愛妻家としても色々なところでメッセージを伝えていたのを思い出す。
そんな中で俺が一番印象に残っている場面がある。大仁田厚が新日本に参戦するときのインタビューで、なぜか小鉄さんが登場。そこで小鉄さんは大仁田を挑発したのだ。
確か「どうだ大仁田?俺とやってみるか?」と語ったその直後、「ま、無理だろな。」という強烈な一言。これぞ小鉄さん!この気持ちがあったからこそ小さな体で渡り歩いてきたんだな。と思ったらとても嬉しく、そして興奮したことを覚えている。
もっと姿を見たかったし、もっと解説を聞きたかった。寂しいなんてもんじゃない。三沢さんがお亡くなりになったときとは違う悲しみと寂しさを感じている。どうか小鉄さんの精神がいつまでも受け継がれますように。
山本小鉄さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。これからもずっとプロレスを見ていきますね。