信頼の証
昨年は岡田さんがタイガースのユニフォームを脱ぎ、今年は今岡選手に赤星選手。さすがに2年続けてオフに寂しい気持ちを味わうとは思わなかった。
とにかく赤星選手に対する気持ちは、もう言葉にするのが難しくて仕方ない。どれだけ赤星選手がタイガースを救ってくれただろう。ファンへ気持ちを届けてくれただろう。それを思い出せば思い出すほど言葉に詰まってしまうのだ。
「赤星でダメなら仕方無い。」
こんな言葉を俺は観戦友達と甲子園のライトスタンドで何度も交わしたものだった。
「赤星でアウトになるなら仕方ない。」
「赤星で追いつかないなら仕方ない。」
内野ゴロを打って全力で1塁へ走るけどアウトになったとき。左中間や右中間に打球が飛んだとき。その度に小さな体が前後左右へ物凄い速さで動くのだ。
同じような俊足選手は他にもいた。でも赤星選手の凄さは「トップスピードに到る速さ」である。これだけは他に類を見なかった。赤松選手(現・広島)在籍当時、赤星選手と脚の速さを比較されたが、このトップスピードまでの速さの違いを感じたものだ。
50m走だったら赤星選手よりも速い選手はいただろう。でも20m走でもあったら赤星選手の速さをより実感できたはずだ。
「あと1年見てほしい。」
そう赤星選手が望むならせめて契約だけはしてほしかったというのが正直なところ。リハビリ専念という条件付きで契約だけでも・・・・・という気持ちが俺の頭をよぎった。でも故障箇所が箇所なだけに・・・・・難しいな、頭では分かっているんだけど心の中ではまだ諦めがつかないんだよ。
ラストプレーとなったダイビングキャッチを俺はライトスタンドで見た。あれをラストと思いたくは無かった。他にも印象的なプレーはいくつもある。2003年9月15日の有名な場面もそうだが、実際に球場で見たものとしては2004年に雨の中で見た延長12回裏、試合を決めたサヨナラヒットを赤星選手が打った場面を忘れる事が出来ない。あの試合でもお立ち台で雨の中最後まで応援したファンに向けて優しいコメントをくれたものだ。
これから何度も何度も赤星選手を思い出す。女々しいと言われようとも思い出す。赤星選手が大好きだ。俺は今岡選手の大ファンだが、赤星選手だって大好きだ。今岡選手のへの気持ちは改めて書くこともあると思うが、赤星選手への気持ちは「信頼」という文字に他ならない。「この人だったら裏切らない。」、「この人だったら何とかしてくれる。」、「この人でダメなら仕方無い。」そんな気持ちである。
タイガースが貧打で苦しんでいた時も「せめて赤星が出れば・・・・・」という気持ちになった。苦しい時ほど、暗い時ほど明るく輝いた星である。その昔、夜空に輝く北極星を頼りに船乗りが方角を知ったように、赤星選手はタイガースの方向を示す星(道標)であった。それほどまでに抜群の存在感を示す選手が怪我でいなくなるのが本当に辛く、受け入れ難い事実なのである。
このような状態にあって、引退後の生活への不安だってあるだろう。でも今年も盗塁数の分だけ車椅子を贈る姿が報じられた。約束は守るためにあるのだ。そう教えてくれた選手でもある。
その赤星選手が自らの口で引退を表明した。複雑な心境だが・・・・・これも「赤星がそう言うなら・・・・・」・・・・・ということであると今は自分に言い聞かせている。それが俺から赤星選手への信頼というものかもしれない。
今日は阪神タイガースの誕生日(1935年12月10日、大阪タイガース設立)である。個人的我がままであるがタイガースの来年の誕生日までは、ファンのため、チームのための勝利に加え、“赤星選手のために”という言葉も入れてほしい。赤星選手はそれほどの功労者である。
赤星選手だったらこういうときにどんな表情で、どんな姿でプレーしただろう。そんなことを思い浮かべながら俺は30代ラストの1年を過ごして行こうと思う。
とにかく赤星選手に対する気持ちは、もう言葉にするのが難しくて仕方ない。どれだけ赤星選手がタイガースを救ってくれただろう。ファンへ気持ちを届けてくれただろう。それを思い出せば思い出すほど言葉に詰まってしまうのだ。
「赤星でダメなら仕方無い。」
こんな言葉を俺は観戦友達と甲子園のライトスタンドで何度も交わしたものだった。
「赤星でアウトになるなら仕方ない。」
「赤星で追いつかないなら仕方ない。」
内野ゴロを打って全力で1塁へ走るけどアウトになったとき。左中間や右中間に打球が飛んだとき。その度に小さな体が前後左右へ物凄い速さで動くのだ。
同じような俊足選手は他にもいた。でも赤星選手の凄さは「トップスピードに到る速さ」である。これだけは他に類を見なかった。赤松選手(現・広島)在籍当時、赤星選手と脚の速さを比較されたが、このトップスピードまでの速さの違いを感じたものだ。
50m走だったら赤星選手よりも速い選手はいただろう。でも20m走でもあったら赤星選手の速さをより実感できたはずだ。
「あと1年見てほしい。」
そう赤星選手が望むならせめて契約だけはしてほしかったというのが正直なところ。リハビリ専念という条件付きで契約だけでも・・・・・という気持ちが俺の頭をよぎった。でも故障箇所が箇所なだけに・・・・・難しいな、頭では分かっているんだけど心の中ではまだ諦めがつかないんだよ。
ラストプレーとなったダイビングキャッチを俺はライトスタンドで見た。あれをラストと思いたくは無かった。他にも印象的なプレーはいくつもある。2003年9月15日の有名な場面もそうだが、実際に球場で見たものとしては2004年に雨の中で見た延長12回裏、試合を決めたサヨナラヒットを赤星選手が打った場面を忘れる事が出来ない。あの試合でもお立ち台で雨の中最後まで応援したファンに向けて優しいコメントをくれたものだ。
これから何度も何度も赤星選手を思い出す。女々しいと言われようとも思い出す。赤星選手が大好きだ。俺は今岡選手の大ファンだが、赤星選手だって大好きだ。今岡選手のへの気持ちは改めて書くこともあると思うが、赤星選手への気持ちは「信頼」という文字に他ならない。「この人だったら裏切らない。」、「この人だったら何とかしてくれる。」、「この人でダメなら仕方無い。」そんな気持ちである。
タイガースが貧打で苦しんでいた時も「せめて赤星が出れば・・・・・」という気持ちになった。苦しい時ほど、暗い時ほど明るく輝いた星である。その昔、夜空に輝く北極星を頼りに船乗りが方角を知ったように、赤星選手はタイガースの方向を示す星(道標)であった。それほどまでに抜群の存在感を示す選手が怪我でいなくなるのが本当に辛く、受け入れ難い事実なのである。
このような状態にあって、引退後の生活への不安だってあるだろう。でも今年も盗塁数の分だけ車椅子を贈る姿が報じられた。約束は守るためにあるのだ。そう教えてくれた選手でもある。
その赤星選手が自らの口で引退を表明した。複雑な心境だが・・・・・これも「赤星がそう言うなら・・・・・」・・・・・ということであると今は自分に言い聞かせている。それが俺から赤星選手への信頼というものかもしれない。
今日は阪神タイガースの誕生日(1935年12月10日、大阪タイガース設立)である。個人的我がままであるがタイガースの来年の誕生日までは、ファンのため、チームのための勝利に加え、“赤星選手のために”という言葉も入れてほしい。赤星選手はそれほどの功労者である。
赤星選手だったらこういうときにどんな表情で、どんな姿でプレーしただろう。そんなことを思い浮かべながら俺は30代ラストの1年を過ごして行こうと思う。