月日は百代の過客にして
人間に人生の中で5年間という時間は決して長いものではないけれど、阪神ファンとしてこの5年間を振り返ると本当に大きいものであった。
理由の1つとしてブログが挙げられる。
岡田監督が就任した2004年はブログというシステムが広く認知され始めた時期で、誰もが簡単に自分の考えを表現できるようになった。このブログもそのうちの1つで、2004年6月に始めたものだ。言いかえれば岡田阪神はブログ草創期から歩み始めているのだ。だから勝った負けたの批判の大きさはそれまでの監督の比では無かった。
結果的に5年で監督を勇退するのだが、もしかしたら岡田監督がやりたかった野球は来年こそが本番だったのではないかと思うことがある。
若手が育っていないとか言われるのだが、野手の出が遅いことがそう印象付けられているだけであって、広大選手にしても林選手にしても、散々チャンスをもらいながら今年は活かせていない。
反面、投手陣は毎年のように新しい顔が1軍に並んだ。野球の7割は投手であると言う人もいるくらいだからチーム力という点では確実に上げているのだ。
投手力を上げたんだから次は・・・・・という点を考えるとやはり野手になるだろう。よく、解説者を経験していないから人間のネットワークが・・・・・と言われるのだが、逆にここまでくると現場でのネットワークだって構築されているものだし、そういう方面では心配ないと思う。ただ、監督を監督たらしめるだけのバックアップ。それは例えば外国人選手の獲得とか、ドラフト会議での指名に至るまでのスカウティングとか、特に外国人選手の獲得面で相変わらずの弱さを発揮してしまったのだから、この辺だって責任の一端はあるはずなのだ。まぁ確かにアッチソン投手は活躍したよ。でも中継ぎじゃなくて欲しいのは打つ野手と先発だっただろうに。
報道では監督は最後に「このチームはまだまだ強くなる。」とおっしゃったらしい。これは強がりでも何でもない。岡田監督には阪神タイガースがさらに強くなる道筋がはっきりと見えていたのだ。そしてそれは俺にもはっきり見えていたのだ。だから勿体ないのである。辞める必要を感じないのだ。
確かに優勝を逃した。13ゲーム差をひっくり返された。当然悔しさはあるし、その責任をとるのが監督という立場であることも充分承知している。ただ監督だけの責任じゃないことを今回の岡田監督の辞任ほど強く感じたことが無いことも事実なのだ。
前監督が辞めた時とかSD辞めて読売の監督になるとか報道されたとき、俺は「行くなら行け。俺は星野ファンじゃなくて阪神ファンだ。」と思った。今回の辞任で阪神ファンを辞めるなんてことはあり得ない。岡田監督の辞任で辞められるくらいならとっくの昔に辞めている。でもこの寂しさは何だろう?整理のつかない気持ちが物凄くもやもやしている。上手く言えないけど、息子さんの治療でバース選手が帰国した時のゴタゴタのときに持った感情に似たような気もしている。でも当時と今じゃ球団のスタンスも変わってるし。
岡田監督は現役時代をタイガースで過ごし、晩年少しだけオリックスでプレーしてコーチをやってタイガースに帰ってきた。現在のタイガースにおいて、タイガースに新人として入団した選手のほとんどを岡田監督は入団時から知っているのだ。こういう指揮官も珍しいだろう。日本一も暗黒時代も、そして今の強い時期も知る本当に貴重な存在だったと思う。
監督が辞めりゃいいってもんじゃないだろう!!
これが今の正直な気持ちである。
監督辞める必要無いだろう!!
これも今の正直な気持ちである。
泣きもしない、喚きもしない。でも苦しさを感じている。志半ばってのはこういうことなのかな?なんて思った。
出会いがあるから別れがある。なんてありふれた言葉だろう。でも2度と会えないわけではないのにこんなに辛く感じるのは何故だろう。
6球団競合の中から大ファンだった阪神タイガースに入団。子供のころはライトスタンドから声援を送っていたとも語っていた人だった。現役時代は中心選手として戦い、監督になった。阪神ファンの生え抜きが監督をやっていたという、ファンとして羨ましさを感じていた監督であった。生え抜きという、ファンなら特別な感情を抱く存在だった。だからこの辞め方はファンとして悔しいのだ。
サインを頂戴したこともあった。非常に照れ屋な方であった。握手をしていただいたこともある。とても柔らかい手だった。このサインは家宝にさせていただき、今でも額に入れて玄関に飾らせていただいている。
「ありがとうございます。」
確かにこの言葉は岡田監督への気持ちを伝えるのに適切な言葉だ。でも「適切」であって「的中」なものではない気がする。
どんな言葉がいいんだろう。辞めたばかりに人に「帰ってくるのを待ってます。」も変だろう。
行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず・・・・・
悲しみや辛さは月日が経てば癒されるものだ。この辞任もそういう形で受け入れられるものかもしれない。でもその流れに素直に乗れない自分がいるのも確かだ。そしてそれは無理に受け入れる必要も無いのかもしれない。今は素直に受け入れられない気持ちそのものに素直に向き合う時期かもしれない。それならそれで、そういう時期があってもいいだろう。だから岡田監督へ伝えたい言葉を今は無理に探さなくても良い。きっと自然に出てくるものだ。
2004年から2008年の5年間は、阪神タイガースを心から愛して止まない人が監督を務めた奇跡の5年間だった。これほどまでにタイガースを好きだという気持ちを前面に出した監督も珍しい。気持ちを秘めた監督はいたけど、ここまで阪神好きな気持ちを出しまくったのは俺が知っている限りでは故・村山さん以来だ。
一緒に泣いた、一緒に笑った。タイガースファンはいつだってチームとともに泣いたり笑ったりを繰り返してきた。それはこれからも永遠に続く。その中心に岡田さんは5年間いた。中心が代わってもタイガースへの愛情を変えられない。それはきっと岡田さんの阪神への愛情も、様々な感情も、きっと変わらないものだと俺は思っている。
理由の1つとしてブログが挙げられる。
岡田監督が就任した2004年はブログというシステムが広く認知され始めた時期で、誰もが簡単に自分の考えを表現できるようになった。このブログもそのうちの1つで、2004年6月に始めたものだ。言いかえれば岡田阪神はブログ草創期から歩み始めているのだ。だから勝った負けたの批判の大きさはそれまでの監督の比では無かった。
結果的に5年で監督を勇退するのだが、もしかしたら岡田監督がやりたかった野球は来年こそが本番だったのではないかと思うことがある。
若手が育っていないとか言われるのだが、野手の出が遅いことがそう印象付けられているだけであって、広大選手にしても林選手にしても、散々チャンスをもらいながら今年は活かせていない。
反面、投手陣は毎年のように新しい顔が1軍に並んだ。野球の7割は投手であると言う人もいるくらいだからチーム力という点では確実に上げているのだ。
投手力を上げたんだから次は・・・・・という点を考えるとやはり野手になるだろう。よく、解説者を経験していないから人間のネットワークが・・・・・と言われるのだが、逆にここまでくると現場でのネットワークだって構築されているものだし、そういう方面では心配ないと思う。ただ、監督を監督たらしめるだけのバックアップ。それは例えば外国人選手の獲得とか、ドラフト会議での指名に至るまでのスカウティングとか、特に外国人選手の獲得面で相変わらずの弱さを発揮してしまったのだから、この辺だって責任の一端はあるはずなのだ。まぁ確かにアッチソン投手は活躍したよ。でも中継ぎじゃなくて欲しいのは打つ野手と先発だっただろうに。
報道では監督は最後に「このチームはまだまだ強くなる。」とおっしゃったらしい。これは強がりでも何でもない。岡田監督には阪神タイガースがさらに強くなる道筋がはっきりと見えていたのだ。そしてそれは俺にもはっきり見えていたのだ。だから勿体ないのである。辞める必要を感じないのだ。
確かに優勝を逃した。13ゲーム差をひっくり返された。当然悔しさはあるし、その責任をとるのが監督という立場であることも充分承知している。ただ監督だけの責任じゃないことを今回の岡田監督の辞任ほど強く感じたことが無いことも事実なのだ。
前監督が辞めた時とかSD辞めて読売の監督になるとか報道されたとき、俺は「行くなら行け。俺は星野ファンじゃなくて阪神ファンだ。」と思った。今回の辞任で阪神ファンを辞めるなんてことはあり得ない。岡田監督の辞任で辞められるくらいならとっくの昔に辞めている。でもこの寂しさは何だろう?整理のつかない気持ちが物凄くもやもやしている。上手く言えないけど、息子さんの治療でバース選手が帰国した時のゴタゴタのときに持った感情に似たような気もしている。でも当時と今じゃ球団のスタンスも変わってるし。
岡田監督は現役時代をタイガースで過ごし、晩年少しだけオリックスでプレーしてコーチをやってタイガースに帰ってきた。現在のタイガースにおいて、タイガースに新人として入団した選手のほとんどを岡田監督は入団時から知っているのだ。こういう指揮官も珍しいだろう。日本一も暗黒時代も、そして今の強い時期も知る本当に貴重な存在だったと思う。
監督が辞めりゃいいってもんじゃないだろう!!
これが今の正直な気持ちである。
監督辞める必要無いだろう!!
これも今の正直な気持ちである。
泣きもしない、喚きもしない。でも苦しさを感じている。志半ばってのはこういうことなのかな?なんて思った。
出会いがあるから別れがある。なんてありふれた言葉だろう。でも2度と会えないわけではないのにこんなに辛く感じるのは何故だろう。
6球団競合の中から大ファンだった阪神タイガースに入団。子供のころはライトスタンドから声援を送っていたとも語っていた人だった。現役時代は中心選手として戦い、監督になった。阪神ファンの生え抜きが監督をやっていたという、ファンとして羨ましさを感じていた監督であった。生え抜きという、ファンなら特別な感情を抱く存在だった。だからこの辞め方はファンとして悔しいのだ。
サインを頂戴したこともあった。非常に照れ屋な方であった。握手をしていただいたこともある。とても柔らかい手だった。このサインは家宝にさせていただき、今でも額に入れて玄関に飾らせていただいている。
「ありがとうございます。」
確かにこの言葉は岡田監督への気持ちを伝えるのに適切な言葉だ。でも「適切」であって「的中」なものではない気がする。
どんな言葉がいいんだろう。辞めたばかりに人に「帰ってくるのを待ってます。」も変だろう。
行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず・・・・・
悲しみや辛さは月日が経てば癒されるものだ。この辞任もそういう形で受け入れられるものかもしれない。でもその流れに素直に乗れない自分がいるのも確かだ。そしてそれは無理に受け入れる必要も無いのかもしれない。今は素直に受け入れられない気持ちそのものに素直に向き合う時期かもしれない。それならそれで、そういう時期があってもいいだろう。だから岡田監督へ伝えたい言葉を今は無理に探さなくても良い。きっと自然に出てくるものだ。
2004年から2008年の5年間は、阪神タイガースを心から愛して止まない人が監督を務めた奇跡の5年間だった。これほどまでにタイガースを好きだという気持ちを前面に出した監督も珍しい。気持ちを秘めた監督はいたけど、ここまで阪神好きな気持ちを出しまくったのは俺が知っている限りでは故・村山さん以来だ。
一緒に泣いた、一緒に笑った。タイガースファンはいつだってチームとともに泣いたり笑ったりを繰り返してきた。それはこれからも永遠に続く。その中心に岡田さんは5年間いた。中心が代わってもタイガースへの愛情を変えられない。それはきっと岡田さんの阪神への愛情も、様々な感情も、きっと変わらないものだと俺は思っている。