虎を着るのか?にじませるのか?
今日はファン気質ってわけではないが、そういうものについて考えてみようと思う。
ファン歴が浅いとか深いとか、そういう話でもない。ただファンにも色々あるんだなって感じだ。
現在のように負けが込んでいるとき、どう応援するかって言ったら俺は悔しがりながら応援する方だ。汚い言葉でいえば「クソッタレ!」という言葉が一番正しいかもしれない。
ただそれを表に出すかどうかといえばこれは本当に違うと思っている。というか、俺は表に出さなくなった。それは関西に何度も行って色々な人に接することが出来たから。
いや、関西の方が必ずしも全てそうだというわけではない。ただ、幼い頃から身近に阪神タイガースがあって、それもあまり強くない時期の方が多くて、さらに笑いをとることを他の地方よりも重要視する?土地柄にあっては「負けもネタにできる。」という素晴らしい風土が形成されている気がするのである。最近は俺もこれを身に付けられるようになってきたので更にタフなファンになれた気がしているのだ。これは実にめでたいことである。
例えば・・・本当に例えばなのでお許し願いたいが、ある選手は不調になったりタイミングを外されると片手打ちで引っ掛けてセカンドゴロということが多い。これが今までの自分だったら「おぃ!またかよ!」となるのだが、最近こういう場面を見て口から真っ先に出る言葉は「出たぁ!」である。そういった失敗というかそういった場面も漫才やコントで必ず出てくる“ネタ”として受け入れることが出来るようになったのだ。これが俺の中の進歩である。
ここではっきりしておきたいのは、決して茶化したりふざけているのではないということだ。ただ頭によぎるのは暗黒時代のことだ。あのころに比べれば今の連敗なんてどうってことない。だって首位だもん。ここ数年は毎年Aクラスだもん。強くなったものである。それが頭にあるから負けても負けても最終的には「あの頃よりはマシ」と言える。だから少々の場面でも“ネタにできる”ようになってきたのである。「ネタ」という言葉が不適切なら「伝統芸能」とか「必殺技」でもいいや。そんな感じだ。
そう言っておきながら俺が嫌いなのは斜に構えたりバカにしたり、上から目線で批判したりすることである。自分じゃ批判してない気でもしちゃっていることが多いんだよね。これは俺も普段の記事で気をつけているんだけど出来ていないような気がするともあって反省することが多く、次は同じ失敗をしないように気をつけていることだ。
そこで今日のタイトルである。自分では阪神ファンのつもりの俺である。虎キチになったつもりの俺である。ここでいつも思うのが関西に行ってみて、そこで感じる“体にタテジマの模様がある”ようなファンと接することだ。関東には知り合いのファンがいないのでよくわからないから関西を例に出す。
反対にタテジマを着ている感覚のファンだっている。どっちも阪神ファンである。そして別にどちらが悪いとかいう話でもない。ただ俺は“体にタテジマ模様がある”ファンでいたいものだなぁ。と思っている。
服を着飾るようにファンが出来る性分ではない。応援したらトコトンまで。だから体にタテジマ模様がしみ込んでいる。もしくは体からタテジマ模様がにじみ出ているようなファンになりたいものだ。それにはチームが不調な時、負けが込んでいるときにそれをどうやって受け入れて応援できるか。これが重要である。
ネタにするなんていうと一見不真面目に見えたりおちょくっているように見えたりする。でもそれはファンとしての幅である。器といっても良いかもしれない。それくらいの幅っていうか許容範囲がある上で叱咤激励する人と、それも無く目先の1つの出来事だけでムキになったり悲観したりするのとはわけが違う。俺は前者になりたいと思っているファンである。
さすがにいつまでもこの調子で戦い続けているとネタ云々では無くなってしまうが、俺はこの不調について2つのことを思っている。
1つ目はこの不調が今で良かったということ。クライマックス・シリーズでこの調子になられたらたまったものではない。2つ目は実現してほしくないのだが、もしも順位をひっくり返されたとしても、それすらも阪神タイガースの“ネタ”じゃないかと思うこと。さすがにそうなったら平静でいられないと思うが・・・・・とにかく現実をプラスに考えていけばネタにもなるし落ち込まずにも済む。
先日お亡くなりになった漫画家の赤塚不二夫さんが「これでいいのだ」と表現された気持ちのほんの一部が現在のタイガースを見ているとわかる気がして不思議な気持ちになっている。
悲観してチームが強くなるならいくらでも悲観すれば良いと思う。でもそれよりは「これもネタかな?」なんて思いながらゆとりを持った方が良い時期なのかもしれない。
体にタテジマ模様がありますか?心にタテジマがありますか?今の俺には両方あると思いたいものである。
ファン歴が浅いとか深いとか、そういう話でもない。ただファンにも色々あるんだなって感じだ。
現在のように負けが込んでいるとき、どう応援するかって言ったら俺は悔しがりながら応援する方だ。汚い言葉でいえば「クソッタレ!」という言葉が一番正しいかもしれない。
ただそれを表に出すかどうかといえばこれは本当に違うと思っている。というか、俺は表に出さなくなった。それは関西に何度も行って色々な人に接することが出来たから。
いや、関西の方が必ずしも全てそうだというわけではない。ただ、幼い頃から身近に阪神タイガースがあって、それもあまり強くない時期の方が多くて、さらに笑いをとることを他の地方よりも重要視する?土地柄にあっては「負けもネタにできる。」という素晴らしい風土が形成されている気がするのである。最近は俺もこれを身に付けられるようになってきたので更にタフなファンになれた気がしているのだ。これは実にめでたいことである。
例えば・・・本当に例えばなのでお許し願いたいが、ある選手は不調になったりタイミングを外されると片手打ちで引っ掛けてセカンドゴロということが多い。これが今までの自分だったら「おぃ!またかよ!」となるのだが、最近こういう場面を見て口から真っ先に出る言葉は「出たぁ!」である。そういった失敗というかそういった場面も漫才やコントで必ず出てくる“ネタ”として受け入れることが出来るようになったのだ。これが俺の中の進歩である。
ここではっきりしておきたいのは、決して茶化したりふざけているのではないということだ。ただ頭によぎるのは暗黒時代のことだ。あのころに比べれば今の連敗なんてどうってことない。だって首位だもん。ここ数年は毎年Aクラスだもん。強くなったものである。それが頭にあるから負けても負けても最終的には「あの頃よりはマシ」と言える。だから少々の場面でも“ネタにできる”ようになってきたのである。「ネタ」という言葉が不適切なら「伝統芸能」とか「必殺技」でもいいや。そんな感じだ。
そう言っておきながら俺が嫌いなのは斜に構えたりバカにしたり、上から目線で批判したりすることである。自分じゃ批判してない気でもしちゃっていることが多いんだよね。これは俺も普段の記事で気をつけているんだけど出来ていないような気がするともあって反省することが多く、次は同じ失敗をしないように気をつけていることだ。
そこで今日のタイトルである。自分では阪神ファンのつもりの俺である。虎キチになったつもりの俺である。ここでいつも思うのが関西に行ってみて、そこで感じる“体にタテジマの模様がある”ようなファンと接することだ。関東には知り合いのファンがいないのでよくわからないから関西を例に出す。
反対にタテジマを着ている感覚のファンだっている。どっちも阪神ファンである。そして別にどちらが悪いとかいう話でもない。ただ俺は“体にタテジマ模様がある”ファンでいたいものだなぁ。と思っている。
服を着飾るようにファンが出来る性分ではない。応援したらトコトンまで。だから体にタテジマ模様がしみ込んでいる。もしくは体からタテジマ模様がにじみ出ているようなファンになりたいものだ。それにはチームが不調な時、負けが込んでいるときにそれをどうやって受け入れて応援できるか。これが重要である。
ネタにするなんていうと一見不真面目に見えたりおちょくっているように見えたりする。でもそれはファンとしての幅である。器といっても良いかもしれない。それくらいの幅っていうか許容範囲がある上で叱咤激励する人と、それも無く目先の1つの出来事だけでムキになったり悲観したりするのとはわけが違う。俺は前者になりたいと思っているファンである。
さすがにいつまでもこの調子で戦い続けているとネタ云々では無くなってしまうが、俺はこの不調について2つのことを思っている。
1つ目はこの不調が今で良かったということ。クライマックス・シリーズでこの調子になられたらたまったものではない。2つ目は実現してほしくないのだが、もしも順位をひっくり返されたとしても、それすらも阪神タイガースの“ネタ”じゃないかと思うこと。さすがにそうなったら平静でいられないと思うが・・・・・とにかく現実をプラスに考えていけばネタにもなるし落ち込まずにも済む。
先日お亡くなりになった漫画家の赤塚不二夫さんが「これでいいのだ」と表現された気持ちのほんの一部が現在のタイガースを見ているとわかる気がして不思議な気持ちになっている。
悲観してチームが強くなるならいくらでも悲観すれば良いと思う。でもそれよりは「これもネタかな?」なんて思いながらゆとりを持った方が良い時期なのかもしれない。
体にタテジマ模様がありますか?心にタテジマがありますか?今の俺には両方あると思いたいものである。