線路は続くよどこまでも
高校生、いや中学生の頃から大好きだったサザンオールスターズが活動休止する。
世間でいうカラオケボックスが俺の地元にもできたのは俺が高校生の頃で、そのころはBOΦWYとサザンを歌っていた。
さて、そのサザンの名曲の中に「旅姿六人衆」という名曲がある。これが哀愁を感じさせてくれるので好きなんですわ。
世間でいうカラオケボックスが俺の地元にもできたのは俺が高校生の頃で、そのころはBOΦWYとサザンを歌っていた。
さて、そのサザンの名曲の中に「旅姿六人衆」という名曲がある。これが哀愁を感じさせてくれるので好きなんですわ。
選手って旅じゃないけど、日本中を遠征して回るでしょ?地方遠征なんてあれば何年かに1度の土地で試合をするわけで、そこで待っているファンがいて、地方球場ならではの光景の中で試合をする。そして次の試合開催地へ移動する。その繰り返し。
1つのチームだって色々な出身地から来ている選手がいて、その選手の出身地の近くを通ればそれはきっと違う感情を持つんだろうなぁ。と少し思ってみたりもする。
タイガースの場合、セントラルリーグのチームと対戦するなら東京、横浜、名古屋、広島に遠征する。でも交流戦になれば仙台や札幌、福岡といった首都圏を抜け出して試合をする。わずか2試合ながら普段行かない土地で試合をする機会が年に2回に増えているのだ。
俺が甲子園や横浜スタジアムに観戦のために遠征を重ねる時、なんとなく持つ感情もそんなものかもしれない。
別にまた見ることはできるのに、3連戦観戦して帰るときには寂しさとか清々しさとが混ざり合って感傷的な気持ちになる。特に甲子園に行く時は関西の言葉を聞くことが出来て、それがまた普段の生活には無かったからなおさらそれを感じていた。
旅姿六人衆の歌詞に♪1人きりじゃ出来ぬことさここにいるのも♪という部分がある。観戦は1人でも行ける。でも甲子園で観戦して友達に会うこともそうだけど、タイガースというチームがあること。対戦する相手があること。それらも含めて1人きりじゃ出来ない観戦を感じたりする。
この曲は♪また会えるまではこのときを 忘れないでいて♪という言葉で〆られている。日々の生活で疲れたり、忙しさでゆとりを無くしたりするのだが、観戦に行けたことや次に行くことを忘れずに、その日に合わせて生活できる時間や余裕は今のところ無くなっていない。
一喜一憂。それも当然。胸の中にしまっているものを別に出す必要もない。出したいときに出し方に気をつけて出せば良い。シーズンは長い長い旅のようなものだ。同じような光景はあっても全く同じ瞬間は無い。少しの角度の違いで見える景色も違ってくる。その角度の違いを楽しんでみるのも面白いかもしれない。
それは余裕というのか?それすらもどうでもいいのかもしれない。時には見たくない景色が目に飛び込んでくるのかもしれない。でもタイガースと一緒に暮らして旅を続けて行くと決めたんだから仕方無いと割り切る潔さがあっても良い。童話の北風と太陽の話で例えたら北風になろうが太陽になろうが、それは自由だしケース・バイ・ケースで変えたって悪いことじゃない。生身の人間なんだから感情があったってそれは当然。ただ出し方に気をつける。それが大人ってやつなのかな?
優しさ、強さ、タフであること。タイガースを応援する上ではこの順番にこだわってみたい。「強く優しく」ではなく「優しく強く」。それを結びつけるタフな気持ち。旅を続けるのは正直、楽しさとしんどさの共存だろう。
一緒にいる時間を共有する。時間の共有こそタイガースファンでいることの醍醐味である。醍醐とは最上の味のものを指す。最上の味を得るためには苦労だって辛さだって感じることもある。
目の前の一喜一憂。それは醍醐を得るための試金石である。その瞬間に向かっているということだけは忘れずに。
線路は続くよどこまでも。途中下車で去ってしまう人もいる。他の列車に乗る人もいる。でも俺はタイガースと同じ列車でこれからも旅を続けたい。交流戦休みの1日はそんなことを考えてみた。
1つのチームだって色々な出身地から来ている選手がいて、その選手の出身地の近くを通ればそれはきっと違う感情を持つんだろうなぁ。と少し思ってみたりもする。
タイガースの場合、セントラルリーグのチームと対戦するなら東京、横浜、名古屋、広島に遠征する。でも交流戦になれば仙台や札幌、福岡といった首都圏を抜け出して試合をする。わずか2試合ながら普段行かない土地で試合をする機会が年に2回に増えているのだ。
俺が甲子園や横浜スタジアムに観戦のために遠征を重ねる時、なんとなく持つ感情もそんなものかもしれない。
別にまた見ることはできるのに、3連戦観戦して帰るときには寂しさとか清々しさとが混ざり合って感傷的な気持ちになる。特に甲子園に行く時は関西の言葉を聞くことが出来て、それがまた普段の生活には無かったからなおさらそれを感じていた。
旅姿六人衆の歌詞に♪1人きりじゃ出来ぬことさここにいるのも♪という部分がある。観戦は1人でも行ける。でも甲子園で観戦して友達に会うこともそうだけど、タイガースというチームがあること。対戦する相手があること。それらも含めて1人きりじゃ出来ない観戦を感じたりする。
この曲は♪また会えるまではこのときを 忘れないでいて♪という言葉で〆られている。日々の生活で疲れたり、忙しさでゆとりを無くしたりするのだが、観戦に行けたことや次に行くことを忘れずに、その日に合わせて生活できる時間や余裕は今のところ無くなっていない。
一喜一憂。それも当然。胸の中にしまっているものを別に出す必要もない。出したいときに出し方に気をつけて出せば良い。シーズンは長い長い旅のようなものだ。同じような光景はあっても全く同じ瞬間は無い。少しの角度の違いで見える景色も違ってくる。その角度の違いを楽しんでみるのも面白いかもしれない。
それは余裕というのか?それすらもどうでもいいのかもしれない。時には見たくない景色が目に飛び込んでくるのかもしれない。でもタイガースと一緒に暮らして旅を続けて行くと決めたんだから仕方無いと割り切る潔さがあっても良い。童話の北風と太陽の話で例えたら北風になろうが太陽になろうが、それは自由だしケース・バイ・ケースで変えたって悪いことじゃない。生身の人間なんだから感情があったってそれは当然。ただ出し方に気をつける。それが大人ってやつなのかな?
優しさ、強さ、タフであること。タイガースを応援する上ではこの順番にこだわってみたい。「強く優しく」ではなく「優しく強く」。それを結びつけるタフな気持ち。旅を続けるのは正直、楽しさとしんどさの共存だろう。
一緒にいる時間を共有する。時間の共有こそタイガースファンでいることの醍醐味である。醍醐とは最上の味のものを指す。最上の味を得るためには苦労だって辛さだって感じることもある。
目の前の一喜一憂。それは醍醐を得るための試金石である。その瞬間に向かっているということだけは忘れずに。
線路は続くよどこまでも。途中下車で去ってしまう人もいる。他の列車に乗る人もいる。でも俺はタイガースと同じ列車でこれからも旅を続けたい。交流戦休みの1日はそんなことを考えてみた。