Life 1 【非阪神】
生まれてから37年と少し、物心ついた時からタイガースのユニフォームに憧れて好きで好きでたまらなくなって、近所の友達と野球をやるときでも周りは巨人ファンばっかで王さんの一本足打法を真似している友達ばかりだったけど俺だけは右打ちのくせに左打ちの掛布さんの真似ばかりしていた。
そんなクソガキだった俺が微妙な家庭環境の中で、経済的にも恵まれているとは言えなかったけど、中学生当時流行った校内暴力などにも目もくれず(自分なりに)真面目にやってこれたのはタイガースの野球があったからだ。勉強して少しでもお金を稼いで早く甲子園で阪神の試合を観たい。ずっとそんな気持ちで過ごしていた(成績はクラスで中の下)。85年の日本一のときは受験生。92年の優勝争いの時は社会人だったけど余裕がなくて行けなかった。
横浜スタジアムでカクテル光線の中でプレーするタイガースを観たのが今から12〜13年くらい前の最初の生観戦。そして甲子園に行けるようになったのは今から約10年くらい前だ。
ケーブルテレビに入ってGAORAとSky−Aでタイガースの試合を観れるようになった。でももっと見たくてスカパーに加入した。観戦にも行けるようになった。それで充分なはずだった。
年なりに結婚という文字が浮かんでくることもあったが、タイガースの観戦を続けられるかどうかが心配で心配で、結婚するならタイガースファンが良いと思っていた。
いや、タイガースファンじゃなくてもいい。でも“好きなものを観るためにお金と時間をかけること”を肯定できる人だったらいいと思っていた。それは好きなアーティストでも何でもね。
さらに欲を言えば・・・・・できれば・・・・・関西にいる人がいいと思っていた。
2004年くらいに“こ・れ・は・好都合〜♪”という名言?が極々身内で流行した。そう言ったら怒られるけど、それがこの度実現する。
いや、決して都合の良い相手と言うわけではない。断じてそうではない。でもこれは自分で書くのも変な気分だが、甲子園の神様と阪神タイガースの魂がどこかにいて「コイツ仕方無ねぇなぁ・・・・・これからも観戦に来させてやるかぁ。」って思ってくれた出来事だと思う。
距離が離れていることは全然大変では無かった。それはすでに自分の中では当然のこととして思っていた。旅費がかかろうと時間がかかろうと、それは本当に当り前のことだった。その繰り返しの中で高い山もあって深い谷もあった。
明日の分に続く。
そんなクソガキだった俺が微妙な家庭環境の中で、経済的にも恵まれているとは言えなかったけど、中学生当時流行った校内暴力などにも目もくれず(自分なりに)真面目にやってこれたのはタイガースの野球があったからだ。勉強して少しでもお金を稼いで早く甲子園で阪神の試合を観たい。ずっとそんな気持ちで過ごしていた(成績はクラスで中の下)。85年の日本一のときは受験生。92年の優勝争いの時は社会人だったけど余裕がなくて行けなかった。
横浜スタジアムでカクテル光線の中でプレーするタイガースを観たのが今から12〜13年くらい前の最初の生観戦。そして甲子園に行けるようになったのは今から約10年くらい前だ。
ケーブルテレビに入ってGAORAとSky−Aでタイガースの試合を観れるようになった。でももっと見たくてスカパーに加入した。観戦にも行けるようになった。それで充分なはずだった。
年なりに結婚という文字が浮かんでくることもあったが、タイガースの観戦を続けられるかどうかが心配で心配で、結婚するならタイガースファンが良いと思っていた。
いや、タイガースファンじゃなくてもいい。でも“好きなものを観るためにお金と時間をかけること”を肯定できる人だったらいいと思っていた。それは好きなアーティストでも何でもね。
さらに欲を言えば・・・・・できれば・・・・・関西にいる人がいいと思っていた。
2004年くらいに“こ・れ・は・好都合〜♪”という名言?が極々身内で流行した。そう言ったら怒られるけど、それがこの度実現する。
いや、決して都合の良い相手と言うわけではない。断じてそうではない。でもこれは自分で書くのも変な気分だが、甲子園の神様と阪神タイガースの魂がどこかにいて「コイツ仕方無ねぇなぁ・・・・・これからも観戦に来させてやるかぁ。」って思ってくれた出来事だと思う。
距離が離れていることは全然大変では無かった。それはすでに自分の中では当然のこととして思っていた。旅費がかかろうと時間がかかろうと、それは本当に当り前のことだった。その繰り返しの中で高い山もあって深い谷もあった。
明日の分に続く。