思いを消さずに
今日であの阪神大震災から13年経つ。13年前の今日のことは今でもよく覚えている。
あの日はたまたま朝早く起きて少し運動して帰ってきたんだった。朝ごはん前に炬燵にあたってテレビをつけたら画面に広がったのは火事で燃えている街の光景だった。
見た瞬間はそれが何なのかわからなかったが、様子はすぐに伝わってきた。地震だったんだ。
あの日はたまたま朝早く起きて少し運動して帰ってきたんだった。朝ごはん前に炬燵にあたってテレビをつけたら画面に広がったのは火事で燃えている街の光景だった。
見た瞬間はそれが何なのかわからなかったが、様子はすぐに伝わってきた。地震だったんだ。
あの地震で俺は初めて“液状化現象”という言葉を知った。
住んでいる静岡は俺が子供の頃から“東海地震が明日起こっても不思議ではない”と言われ続けていたので大きな地震が兵庫県南部を震源に起こったことが信じられなかった。
あの当時、まだ俺は関西に知り合いがいなかった。だから阪神タイガースとか阪神甲子園球場は大丈夫なのだろうか?ということも少し考えた。とにかく現実の出来事とは思えなかった。
その日は仕事から帰ってもずっとニュース番組ばかり見ていた気がする。
数日経ったらテレビではドラム缶を風呂にして暖まっている人たちの笑顔なども放送された。でもそれはきっと極わずかな人たちだけで、多くの人は風呂なんて言っている場合じゃなかったと思う。
俺の職場からも、提携先が兵庫県内にあった関係で兵庫県内に復興のお手伝いで派遣された人もいた。実は俺も入れ替わりで派遣される候補に挙がっていたが、派遣先の受け入れ態勢が整わないという点と、想定していたよりも早く(少なくとも物の形の上では)復興出来てきたということで派遣される前に派遣体制が解除された。
備えあれば憂い無しというものの、被害を少しは軽くできるだろうけど全く無くすことは出来ないと思う。そうなった時に他の人を思いやれるか?というのも土壇場にならないと何とも言えないと思う。自分が水を持っていて、近くに水が無い人がいた時にどれだけの水を分けることが出来るんだろう?自分の家が壊れているのに人の家の修理を手伝えるだろうか?そんなことを自問自答したことを今でも思い出す。
地震はいつ来るかわからない。そのための用心を忘れないようにしよう。それを考えて3年前に建てた家にはそれなりに建具を減らす工夫をした。家具倒壊を少しでも防ぎたいから。
でも今日のタイトルの「思いを消さない」とはそうではない。お亡くなりになった方々、そのご遺族、今でもPTSDなどで苦しむ方々がいることを忘れないでいようと思うのだ。
俺が直接知っている方の中で、この地震でお亡くなりになった方はいない。でもあの地震を経験した方々だったら観戦友達の中にもいる。この地震は決して過ぎ去った出来事ではないと思う。これからも地震が起こるたびに比較されると思う。現に家を建てる際には歌い文句のように聞かされた。阪神大震災クラスの地震でも大丈夫!とかね。
地震とは直接関係無いが、俺の職場にも神戸出身の人がいる。その人は地震が起こった年にオリックスが“かんばろうKOBE”というスローガンで戦ってくれたことに感動してオリックスのファンになったということだ。でも大阪を本拠地にすることになって凄く寂しくなって悲しくなってオリックスファンをやめた。そういう人もいる。
今でも甲子園に行けば地震のことを少し思いだす。JR神戸線に乗れば尼崎を少し過ぎて宝塚線と分岐するあたりで脱線事故を思い出す。
お亡くなりになった方の中にもタイガースファンはいただろう。ご存命だったら2003年や2005年の優勝を見ることが出来た方もいただろう。そういう意味でも、関西の方と結婚する縁を頂いたこともあるけど阪神大震災は他人事ではないのだ。そしてその思いを俺はずっと忘れない。
阪神(淡路)大震災でお亡くなりになった方々のご冥福と被災者の方々の物心両面での少しでも早い復興並びに快復を改めて心からお祈り申し上げます。
住んでいる静岡は俺が子供の頃から“東海地震が明日起こっても不思議ではない”と言われ続けていたので大きな地震が兵庫県南部を震源に起こったことが信じられなかった。
あの当時、まだ俺は関西に知り合いがいなかった。だから阪神タイガースとか阪神甲子園球場は大丈夫なのだろうか?ということも少し考えた。とにかく現実の出来事とは思えなかった。
その日は仕事から帰ってもずっとニュース番組ばかり見ていた気がする。
数日経ったらテレビではドラム缶を風呂にして暖まっている人たちの笑顔なども放送された。でもそれはきっと極わずかな人たちだけで、多くの人は風呂なんて言っている場合じゃなかったと思う。
俺の職場からも、提携先が兵庫県内にあった関係で兵庫県内に復興のお手伝いで派遣された人もいた。実は俺も入れ替わりで派遣される候補に挙がっていたが、派遣先の受け入れ態勢が整わないという点と、想定していたよりも早く(少なくとも物の形の上では)復興出来てきたということで派遣される前に派遣体制が解除された。
備えあれば憂い無しというものの、被害を少しは軽くできるだろうけど全く無くすことは出来ないと思う。そうなった時に他の人を思いやれるか?というのも土壇場にならないと何とも言えないと思う。自分が水を持っていて、近くに水が無い人がいた時にどれだけの水を分けることが出来るんだろう?自分の家が壊れているのに人の家の修理を手伝えるだろうか?そんなことを自問自答したことを今でも思い出す。
地震はいつ来るかわからない。そのための用心を忘れないようにしよう。それを考えて3年前に建てた家にはそれなりに建具を減らす工夫をした。家具倒壊を少しでも防ぎたいから。
でも今日のタイトルの「思いを消さない」とはそうではない。お亡くなりになった方々、そのご遺族、今でもPTSDなどで苦しむ方々がいることを忘れないでいようと思うのだ。
俺が直接知っている方の中で、この地震でお亡くなりになった方はいない。でもあの地震を経験した方々だったら観戦友達の中にもいる。この地震は決して過ぎ去った出来事ではないと思う。これからも地震が起こるたびに比較されると思う。現に家を建てる際には歌い文句のように聞かされた。阪神大震災クラスの地震でも大丈夫!とかね。
地震とは直接関係無いが、俺の職場にも神戸出身の人がいる。その人は地震が起こった年にオリックスが“かんばろうKOBE”というスローガンで戦ってくれたことに感動してオリックスのファンになったということだ。でも大阪を本拠地にすることになって凄く寂しくなって悲しくなってオリックスファンをやめた。そういう人もいる。
今でも甲子園に行けば地震のことを少し思いだす。JR神戸線に乗れば尼崎を少し過ぎて宝塚線と分岐するあたりで脱線事故を思い出す。
お亡くなりになった方の中にもタイガースファンはいただろう。ご存命だったら2003年や2005年の優勝を見ることが出来た方もいただろう。そういう意味でも、関西の方と結婚する縁を頂いたこともあるけど阪神大震災は他人事ではないのだ。そしてその思いを俺はずっと忘れない。
阪神(淡路)大震災でお亡くなりになった方々のご冥福と被災者の方々の物心両面での少しでも早い復興並びに快復を改めて心からお祈り申し上げます。