本日2本立て『馬に人格を与えた男』(非プロ野球)
競馬界の現役最年長騎手であった、岡部幸雄騎手(56歳)が引退を表明した。
競馬騎手学校の前身である、馬事公苑出身。同期にはレース中のアクシデントで若くして引退することとなった“天才”福永洋一騎手、執念でダービーをもぎ取った柴田政人騎手、そして同時期にしのぎを削った郷原騎手、増沢騎手、年下だけど競い合った南井克巳さんといった面々がいた。言っちゃ悪いが今の騎手たちよりかなり凄い連中だったと思う。
そんななかで、岡部騎手は勝ち星を重ねた。岡部騎手の功績は数字上でも凄いことになっている。でも岡部さんは涼しい顔で「いずれこれらの記録もユタカ(武豊騎手)に抜かれるでしょ。」と言っていた。
岡部さんの競馬への姿勢を表す言葉に「馬優先主義」というものがある。自分の欲による勝利よりも、馬の成長と馬のためを思って騎乗する。それが勝利への欲がないと批判する声もあったと思う。でも競走馬は走らなければ馬肉になることがほとんどだ。余程気性が良いとか、血統が良い、などの理由がない限りは結果の出ない馬は種牡馬にも、乗馬にも、当て馬にもなれない。それを知っている岡部さんが勝利への執念が無いわけがない。そしてそんな騎手に、多くの調教師が騎乗を依頼するはずがない。
それでも岡部さんにはファンも感情移入しにくかったと思う。
一時期、競馬場ではG1勝利ジョッキーのゴール後のウィニングランのときに、ジョッキーの名前をコールすることが流行った(元祖はアイネスフウジンで日本ダービーを勝った中野渡騎手へのものと言われる)。でも岡部さんにはなかなか起こらない。その岡部さんに起こった初めての岡部コールは、岡部さんに競馬を教えたといわれる7冠馬“皇帝”シンボリルドルフの初年度産駒トウカイテイオー(父:シンボリルドルフ、母:トウカイナチュラル、母父ナイスダンサー)でジャパンカップを勝ったときだった。強くて巧すぎる騎手への最大級の声援が、晩秋の東京競馬場を包み込んだシーンを僕は覚えている。
40代中盤以降はレースを限定しながらの騎乗だったと思う。でもG1に昇格したばかりのフェブラリーステークスを確か2年連続で勝ち抜いたり、短距離最強馬タイキシャトルでG1を制覇しまくったり、ビワハヤヒデで安定した騎乗をしたり、体力の衰えを補って余りある騎乗でお手馬を勝利に導いた。
岡部さんは引退する。骨折や怪我により自分の思うような騎乗が出来なくなったということだろう。でも馬優先主義の人はそれだけじゃなくて馬のためを思って自ら鞭を置く決意をしたのかもしれない。岡部さんは競走馬に、自分の騎乗で迷惑をかけたくないから引退する。そんな気がする。
競走馬のことを「あの馬」という表現を岡部さんはしない。岡部さんはいつだって馬のことを「彼は・・・」とか「彼女は・・・」とか「この子は・・・」と人間と同じように表現してきた。馬に対して決して上からモノを見ず、いつも馬の目線で物事を感じてきた名手岡部騎手だった。
岡部さん、お疲れ様でした。僕は岡部さんの競馬が好きでした。
競馬騎手学校の前身である、馬事公苑出身。同期にはレース中のアクシデントで若くして引退することとなった“天才”福永洋一騎手、執念でダービーをもぎ取った柴田政人騎手、そして同時期にしのぎを削った郷原騎手、増沢騎手、年下だけど競い合った南井克巳さんといった面々がいた。言っちゃ悪いが今の騎手たちよりかなり凄い連中だったと思う。
そんななかで、岡部騎手は勝ち星を重ねた。岡部騎手の功績は数字上でも凄いことになっている。でも岡部さんは涼しい顔で「いずれこれらの記録もユタカ(武豊騎手)に抜かれるでしょ。」と言っていた。
岡部さんの競馬への姿勢を表す言葉に「馬優先主義」というものがある。自分の欲による勝利よりも、馬の成長と馬のためを思って騎乗する。それが勝利への欲がないと批判する声もあったと思う。でも競走馬は走らなければ馬肉になることがほとんどだ。余程気性が良いとか、血統が良い、などの理由がない限りは結果の出ない馬は種牡馬にも、乗馬にも、当て馬にもなれない。それを知っている岡部さんが勝利への執念が無いわけがない。そしてそんな騎手に、多くの調教師が騎乗を依頼するはずがない。
それでも岡部さんにはファンも感情移入しにくかったと思う。
一時期、競馬場ではG1勝利ジョッキーのゴール後のウィニングランのときに、ジョッキーの名前をコールすることが流行った(元祖はアイネスフウジンで日本ダービーを勝った中野渡騎手へのものと言われる)。でも岡部さんにはなかなか起こらない。その岡部さんに起こった初めての岡部コールは、岡部さんに競馬を教えたといわれる7冠馬“皇帝”シンボリルドルフの初年度産駒トウカイテイオー(父:シンボリルドルフ、母:トウカイナチュラル、母父ナイスダンサー)でジャパンカップを勝ったときだった。強くて巧すぎる騎手への最大級の声援が、晩秋の東京競馬場を包み込んだシーンを僕は覚えている。
40代中盤以降はレースを限定しながらの騎乗だったと思う。でもG1に昇格したばかりのフェブラリーステークスを確か2年連続で勝ち抜いたり、短距離最強馬タイキシャトルでG1を制覇しまくったり、ビワハヤヒデで安定した騎乗をしたり、体力の衰えを補って余りある騎乗でお手馬を勝利に導いた。
岡部さんは引退する。骨折や怪我により自分の思うような騎乗が出来なくなったということだろう。でも馬優先主義の人はそれだけじゃなくて馬のためを思って自ら鞭を置く決意をしたのかもしれない。岡部さんは競走馬に、自分の騎乗で迷惑をかけたくないから引退する。そんな気がする。
競走馬のことを「あの馬」という表現を岡部さんはしない。岡部さんはいつだって馬のことを「彼は・・・」とか「彼女は・・・」とか「この子は・・・」と人間と同じように表現してきた。馬に対して決して上からモノを見ず、いつも馬の目線で物事を感じてきた名手岡部騎手だった。
岡部さん、お疲れ様でした。僕は岡部さんの競馬が好きでした。