味わう 飛び込む
寝癖を直しながら鏡を見て、なんか白髪が混じってきたなと思いながら支度する。
いつも仕事に行くような時間に起きて支度して、でも行先だけは静岡駅で、そして新幹線に乗る。喫煙車両しかなかったけどタバコを吸っている人はいなかった。
新大阪から地下鉄に乗り、梅田に出て甲子園へ。いつもはJR神戸線を利用して甲子園口に行ってからだから阪神電車で甲子園に行くのが久しぶりのような新鮮なような気がする。
いつも仕事に行くような時間に起きて支度して、でも行先だけは静岡駅で、そして新幹線に乗る。喫煙車両しかなかったけどタバコを吸っている人はいなかった。
新大阪から地下鉄に乗り、梅田に出て甲子園へ。いつもはJR神戸線を利用して甲子園口に行ってからだから阪神電車で甲子園に行くのが久しぶりのような新鮮なような気がする。
思ったよりも暖かい甲子園周辺。いつものように21号門をくぐり、薄暗い通路を抜けて階段を上がる。まだ春になったばかりなのに甲子園の芝は美しい緑色を見せていた。
空席が多い甲子園。こういう光景も久しぶり。でもオープン戦で満員になるなんてことのほうがおかしい。今現在、チケットも余っているけど、今の時期に売切れてしまう方がおかしい。一斉発売の弊害も叫ばれるけど、行きたくなったら発売日以降はいつでも買えると思えばメリットだってあるものだ。客を呼ぶのはタイガースの戦いにかかっている部分が多分にある。ファンは(きっと)野球を観に来るのだ。
そういえば随分ファンも大人しくなったもので、31段目なのに立って応援するファンも少ない。最上段を見渡すとさすがに立っている人も多いのだが。
声を出す。これを恥ずかしがっていては甲子園の外野で応援できない。色々な人が外野に来る。外野で応援するのが好きな人もいる。家族連れで観戦するには外野の価格じゃないと高くついて仕方ない人だっている。そういう人たちが一体となれるはずの場所がライトスタンド。取り戻せるかな?
試合が終わる。甲子園口行きのバスに乗る。宿まで駅から歩いて少し。玄関をくぐるとご主人と「今年もよろしく」のご挨拶。通いなれた懐かしささえ感じさせてくれる部屋に入り、お茶を飲んでゆっくりしているとついウトウトしてくる。時間はまだ早い。そのまま眠気に任せて少し昼寝する。
腹の空き具合もちょうど良いのでいつもの居酒屋に出かける。ここで新年のご挨拶。しばらく1人で飲んでいると常連さんがやってくる。
店内で初対面の人とタイガースがきっかけで仲良くなる。タイガースファン同士がタイガースのことを語る言葉に「初めまして」は要らない。そしてどっちの方がタイガースを好きかなんて勝負も要らない。話をしていれば自然に相手のタイガースへの気持ちは伝わってくるものだ。
2軒目の赤ちょうちんでも1軒目と同じような光景が繰り返される。寒さを紛らわすために焼酎のお湯割を飲む。今年最初の観戦は6回裏で声が枯れてしまった。その喉に焼酎が沁みる。飲めば飲むほどそこにいることが楽しくなる。みんなが俺を静岡から来た客ではなく、1人のタイガースファンとして扱ってくれることがありがたい。
地元の宿に泊まり、地元の居酒屋、地元の赤ちょうちんに入る。ホテルやファミレスなどでは感じることができないものがある。それは何年も何十年もかけて少しずつ足して作ってきた秘伝のタレのようなもので、そこに漬かればどんな具材も美味しくなるように、漬かれば漬かるほどタイガースファンになっていく。そしてそのタレを造ってきたのは他でもない地元にいる、生活にタイガースがある風景の中で過ごしてきた人たちの思いの結晶である。そこにどっぷり漬かることができる、手放したくない幸せがそこにある。
翌日、昼近くに宿を出て甲子園まで歩く。甲子園口の商店街は歩道のタイルにも阪神のエキスが詰まっている気がして、歩みを進める一歩一歩が何ともいえない気持ちにさせてくれる。
他人行儀と思われるだろうけど、俺は関西では敬語を使ってしまうことが多い。別に警戒しているわけではない。そうじゃなくて、俺がこうやってタイガースを好きでいられるのも、地元の関西で長い間ずっとタイガースを愛してきてくれた人たちへの感謝がそのまま言葉になってしまうだけだ。
関西に行く、試合を観る、地元の懐に思い切って飛び込む、食わず嫌いなんてしないで先ずは味わってみる。その雰囲気、その空気、その味わい、1つ1つがゆっくりゆっくり自分の中に染み込んで行く。そして1つ1つが漆を塗って行くかのように1枚1枚、虎模様を重ね合わせて行く。
構えずに、心を開いて地元に入る。それを受け止めてくれる人たちがいることに感謝している。「おかえり!」って感じで迎えてくれる人たちがいる。
オープン戦は選手やチームが試合に慣れて行く時間。そしてそれは俺のようなファンにとってもタイガースファンであることの確認作業を実地で行う時間。
オープン戦に行くことに戸惑いや「そこまで・・・」という思いが無かったかといえば無かったとは言い切れない。でも行ったことはとても素晴らしいことだったと言い切れる。
今年も繰り返される『関西と甲子園とタイガースに漬かる』時間。1年後には更に味が染み、虎模様が上塗されたファンになっているはずだ。
空席が多い甲子園。こういう光景も久しぶり。でもオープン戦で満員になるなんてことのほうがおかしい。今現在、チケットも余っているけど、今の時期に売切れてしまう方がおかしい。一斉発売の弊害も叫ばれるけど、行きたくなったら発売日以降はいつでも買えると思えばメリットだってあるものだ。客を呼ぶのはタイガースの戦いにかかっている部分が多分にある。ファンは(きっと)野球を観に来るのだ。
そういえば随分ファンも大人しくなったもので、31段目なのに立って応援するファンも少ない。最上段を見渡すとさすがに立っている人も多いのだが。
声を出す。これを恥ずかしがっていては甲子園の外野で応援できない。色々な人が外野に来る。外野で応援するのが好きな人もいる。家族連れで観戦するには外野の価格じゃないと高くついて仕方ない人だっている。そういう人たちが一体となれるはずの場所がライトスタンド。取り戻せるかな?
試合が終わる。甲子園口行きのバスに乗る。宿まで駅から歩いて少し。玄関をくぐるとご主人と「今年もよろしく」のご挨拶。通いなれた懐かしささえ感じさせてくれる部屋に入り、お茶を飲んでゆっくりしているとついウトウトしてくる。時間はまだ早い。そのまま眠気に任せて少し昼寝する。
腹の空き具合もちょうど良いのでいつもの居酒屋に出かける。ここで新年のご挨拶。しばらく1人で飲んでいると常連さんがやってくる。
店内で初対面の人とタイガースがきっかけで仲良くなる。タイガースファン同士がタイガースのことを語る言葉に「初めまして」は要らない。そしてどっちの方がタイガースを好きかなんて勝負も要らない。話をしていれば自然に相手のタイガースへの気持ちは伝わってくるものだ。
2軒目の赤ちょうちんでも1軒目と同じような光景が繰り返される。寒さを紛らわすために焼酎のお湯割を飲む。今年最初の観戦は6回裏で声が枯れてしまった。その喉に焼酎が沁みる。飲めば飲むほどそこにいることが楽しくなる。みんなが俺を静岡から来た客ではなく、1人のタイガースファンとして扱ってくれることがありがたい。
地元の宿に泊まり、地元の居酒屋、地元の赤ちょうちんに入る。ホテルやファミレスなどでは感じることができないものがある。それは何年も何十年もかけて少しずつ足して作ってきた秘伝のタレのようなもので、そこに漬かればどんな具材も美味しくなるように、漬かれば漬かるほどタイガースファンになっていく。そしてそのタレを造ってきたのは他でもない地元にいる、生活にタイガースがある風景の中で過ごしてきた人たちの思いの結晶である。そこにどっぷり漬かることができる、手放したくない幸せがそこにある。
翌日、昼近くに宿を出て甲子園まで歩く。甲子園口の商店街は歩道のタイルにも阪神のエキスが詰まっている気がして、歩みを進める一歩一歩が何ともいえない気持ちにさせてくれる。
他人行儀と思われるだろうけど、俺は関西では敬語を使ってしまうことが多い。別に警戒しているわけではない。そうじゃなくて、俺がこうやってタイガースを好きでいられるのも、地元の関西で長い間ずっとタイガースを愛してきてくれた人たちへの感謝がそのまま言葉になってしまうだけだ。
関西に行く、試合を観る、地元の懐に思い切って飛び込む、食わず嫌いなんてしないで先ずは味わってみる。その雰囲気、その空気、その味わい、1つ1つがゆっくりゆっくり自分の中に染み込んで行く。そして1つ1つが漆を塗って行くかのように1枚1枚、虎模様を重ね合わせて行く。
構えずに、心を開いて地元に入る。それを受け止めてくれる人たちがいることに感謝している。「おかえり!」って感じで迎えてくれる人たちがいる。
オープン戦は選手やチームが試合に慣れて行く時間。そしてそれは俺のようなファンにとってもタイガースファンであることの確認作業を実地で行う時間。
オープン戦に行くことに戸惑いや「そこまで・・・」という思いが無かったかといえば無かったとは言い切れない。でも行ったことはとても素晴らしいことだったと言い切れる。
今年も繰り返される『関西と甲子園とタイガースに漬かる』時間。1年後には更に味が染み、虎模様が上塗されたファンになっているはずだ。