勝利に感謝 (使用許可取得済)
ブログ友達のユタパパさんたちがスタンドで掲げる『勝利に感謝』のメッセージ。これを見るたびにいつも思うのは分かりやすく、そして忘れられない気持ちがあるということだ。
あの頃・・・・・俺のブログでも何度も書いているけど、まだ客席がガラガラだった頃、その日の天気を朝、新聞で見て「よし、行くか!」と静岡から新幹線に乗り高架下で並んでいた頃。それは行先が違うだけで高架下が関内駅に変わったりもした。
あの頃・・・・・俺のブログでも何度も書いているけど、まだ客席がガラガラだった頃、その日の天気を朝、新聞で見て「よし、行くか!」と静岡から新幹線に乗り高架下で並んでいた頃。それは行先が違うだけで高架下が関内駅に変わったりもした。
勝利なんていう言葉は夢のようで、行く度に負けて勝利の六甲颪なんて歌えなくて、それでも懲りずに行っていた頃。
応援していて、俺だけ関西弁じゃなくて、周りのお客さんに「どっから来たんや?!」と聞かれ、「静岡です。」と応えると「アホちゃうか!(関西弁で「ようこそいらっしゃいました!」の意味)」の言葉が返ってくる。「よぉ来たな。」とビールを奢ってくれるオッチャンがいて話をしていると、バラバラっていうかガラガラのスタンドで離れて応援するのも寂しいもんだから「こっちへ来い!」とか言われてそっちへいって応援したこと。
相手チームの守護神(当時は高津や佐々木)が出てくると、前に座っているオッチャンが俺のほうを振り向き「今日はもうアカンな。」とつぶやく。でも席を立たずに最後まで応援している。
古きよき時代なんていうと大げさだけど、ほんの数年前までこんな光景に溢れる甲子園でタイガースファンの楽しみを教わった。
1年間、負けっぱなしなんてときもある。俺が行ったら勝てないんじゃないか?と思った人はきっと俺だけじゃなくて、選手に向かって「あほー!」とか言っても「ばか!」とは思っていない人たちがいて、心でみんなが「今日こそはそろそろ勝ってくれよ〜・・・」と思っているのが手に取るように分かるから、たまに勝ったりすると狂喜乱舞の光景になり、その中に身を置く感激に浸れた。
チケット一斉発売になると年間分のチケットをあらかじめ確保するから、天候に恵まれて遠征した日に試合があることに感謝する。
ライトスタンドの上のほうから眺めることが出来る、六甲山に沈んで行く夕陽は本当にキレイで、そこに身を置きながら好きなチームを応援できることは幸せなこと。明日になれば、明後日になれば仕事という現実に戻るんだけど、それはそのとき考えれば良い。今は野球を応援しよう。そして勝とう!それに集中できる。
勝つことが当然のことであるわけが無い。「勝つ」と「負ける」の両方がありえるから「勝負」なんだ。分かっていても勝つことを望む。だって今までアレだけたくさん負けたんだもん。
何回でもヒーローインタビューを聞きたい。何回でも六甲颪を勝って歌いたい。その気持ちが最後まで諦めない応援を引き出す。3点負けてたら4点取れ!5点負けてたら6点取れ!もし負けたら次は勝て!勝ったら嬉しい、負けたら悔しい。その単純な繰り返しだけど、それが分かっているけど言葉だけじゃ割り切れない気持ちがきっとある。
あの勝てない時代を知っているからという理由だけではない。勝つこともあれば負けることもある。だから目の前で勝つ姿を見ることができるから『勝利に感謝』!俺はそう解釈してみた。
『負けて文句』ではない。『勝利に感謝』である。喜びを与えてくれたチームに、その場にいれたことに感謝。だいたい「感謝」という言葉を使う人に限って「自分は感謝しないけど人には感謝を強要する」なんてことになりがちだけど、あのスタンドで黄色い生地に黒い文字で掲げられる『勝利に感謝』は贅沢になりすぎているタイガースファンに本当に大事なものを思い出させてくれる素晴らしい言葉だと俺は思っている。
試合があることに感謝して、甲子園を始めとする球場にいけることに感謝して、球場に行けなくてもテレビで試合を見れることにも感謝して、そして勝利に感謝する。当たり前のように思っていることが実は全然当たり前なんかじゃなくて特別なことだったなんてことに後で気付くなんてよくある話だ。
今年、俺は観戦のテーマに『原点回帰』と掲げている。満員の甲子園であっても、どこの球場であってもだ。どうしても通い慣れてしまうと新鮮味を感じなくなってくるもので、関西に着いてからの行動もルーティンのようになってしまうけど、例え同じ行動をとるにしても、1つ1つに気持ちを入れ、『あの当時』を思い出すことをしようと思う。
難しい言葉は出せないけど、阪神タイガースと阪神甲子園球場とタテジマに今年も会える。そんな日が近付いている。1つでも多く『勝利に感謝』できる試合を。そのために目の前の試合に勝つことにファンとして全力で応援する。デカイ声で応援する。メガホンもガンガン叩く。そして勝ったら『勝利に感謝』を。
繰り返すことはきっと積み上がって行く。タイガースの勝利に感謝できることの幸せを、もう1度あの頃に戻って思い出し、球場に足を運べる日まであと少しだ。
※ 表題の『勝利に感謝』を使用するにあたっては、いつもこの横断幕を掲げているユタパパさんを経由してこの記事に使用することをお許しいただきました。感謝申し上げます。ありがとうございました。
応援していて、俺だけ関西弁じゃなくて、周りのお客さんに「どっから来たんや?!」と聞かれ、「静岡です。」と応えると「アホちゃうか!(関西弁で「ようこそいらっしゃいました!」の意味)」の言葉が返ってくる。「よぉ来たな。」とビールを奢ってくれるオッチャンがいて話をしていると、バラバラっていうかガラガラのスタンドで離れて応援するのも寂しいもんだから「こっちへ来い!」とか言われてそっちへいって応援したこと。
相手チームの守護神(当時は高津や佐々木)が出てくると、前に座っているオッチャンが俺のほうを振り向き「今日はもうアカンな。」とつぶやく。でも席を立たずに最後まで応援している。
古きよき時代なんていうと大げさだけど、ほんの数年前までこんな光景に溢れる甲子園でタイガースファンの楽しみを教わった。
1年間、負けっぱなしなんてときもある。俺が行ったら勝てないんじゃないか?と思った人はきっと俺だけじゃなくて、選手に向かって「あほー!」とか言っても「ばか!」とは思っていない人たちがいて、心でみんなが「今日こそはそろそろ勝ってくれよ〜・・・」と思っているのが手に取るように分かるから、たまに勝ったりすると狂喜乱舞の光景になり、その中に身を置く感激に浸れた。
チケット一斉発売になると年間分のチケットをあらかじめ確保するから、天候に恵まれて遠征した日に試合があることに感謝する。
ライトスタンドの上のほうから眺めることが出来る、六甲山に沈んで行く夕陽は本当にキレイで、そこに身を置きながら好きなチームを応援できることは幸せなこと。明日になれば、明後日になれば仕事という現実に戻るんだけど、それはそのとき考えれば良い。今は野球を応援しよう。そして勝とう!それに集中できる。
勝つことが当然のことであるわけが無い。「勝つ」と「負ける」の両方がありえるから「勝負」なんだ。分かっていても勝つことを望む。だって今までアレだけたくさん負けたんだもん。
何回でもヒーローインタビューを聞きたい。何回でも六甲颪を勝って歌いたい。その気持ちが最後まで諦めない応援を引き出す。3点負けてたら4点取れ!5点負けてたら6点取れ!もし負けたら次は勝て!勝ったら嬉しい、負けたら悔しい。その単純な繰り返しだけど、それが分かっているけど言葉だけじゃ割り切れない気持ちがきっとある。
あの勝てない時代を知っているからという理由だけではない。勝つこともあれば負けることもある。だから目の前で勝つ姿を見ることができるから『勝利に感謝』!俺はそう解釈してみた。
『負けて文句』ではない。『勝利に感謝』である。喜びを与えてくれたチームに、その場にいれたことに感謝。だいたい「感謝」という言葉を使う人に限って「自分は感謝しないけど人には感謝を強要する」なんてことになりがちだけど、あのスタンドで黄色い生地に黒い文字で掲げられる『勝利に感謝』は贅沢になりすぎているタイガースファンに本当に大事なものを思い出させてくれる素晴らしい言葉だと俺は思っている。
試合があることに感謝して、甲子園を始めとする球場にいけることに感謝して、球場に行けなくてもテレビで試合を見れることにも感謝して、そして勝利に感謝する。当たり前のように思っていることが実は全然当たり前なんかじゃなくて特別なことだったなんてことに後で気付くなんてよくある話だ。
今年、俺は観戦のテーマに『原点回帰』と掲げている。満員の甲子園であっても、どこの球場であってもだ。どうしても通い慣れてしまうと新鮮味を感じなくなってくるもので、関西に着いてからの行動もルーティンのようになってしまうけど、例え同じ行動をとるにしても、1つ1つに気持ちを入れ、『あの当時』を思い出すことをしようと思う。
難しい言葉は出せないけど、阪神タイガースと阪神甲子園球場とタテジマに今年も会える。そんな日が近付いている。1つでも多く『勝利に感謝』できる試合を。そのために目の前の試合に勝つことにファンとして全力で応援する。デカイ声で応援する。メガホンもガンガン叩く。そして勝ったら『勝利に感謝』を。
繰り返すことはきっと積み上がって行く。タイガースの勝利に感謝できることの幸せを、もう1度あの頃に戻って思い出し、球場に足を運べる日まであと少しだ。
※ 表題の『勝利に感謝』を使用するにあたっては、いつもこの横断幕を掲げているユタパパさんを経由してこの記事に使用することをお許しいただきました。感謝申し上げます。ありがとうございました。