種まき
実は俺は4年ほど前、人事交流という制度で電車で30分ほど離れた街に行っていた。そこでの仕事は「まちの活性化」だった。
そのまちは、古くは宿場町だったのだが、現在は地方都市にありがちなシャッター通りや空き店舗が増えつつあるまち。どっからどうすれば?というのも考えていたものだ。
そのまちが俺が赴任する1ヶ月前から始めていたのは「市(いち)」。そう、中心部のスペースを利用して様々な人々が集まってきて、特産品やお店の出張所のような感じで特設売店を並べるというもの。これが1回目は大盛況だったらしいので月1回の開催で今後も継続しよう!と言うものだった。(もちろん、他にも仕事はあったのよ)
しかし柳の下に何匹もドジョウがいるわけも無く、2回目以降は徐々に下降線を辿っていた。
一所懸命やっている地元の役員さんは少なく、「誰かがやってくれるだろう。」という雰囲気があった。その「誰か」が俺が勤務する職場に当時はウェートがかかっていた。
職場の玄関に開催をお知らせする看板を立てる作業をしていても、他の部署の連中は冷ややかな目で「そんなことする必要があるの?」という人までいたりした。そんなことをしなくてもやっていけるって店もあったと思う。
子供が来れば親も一緒に来るんじゃないか?という声が職場から上がり、子供さんに配布してもらうようにA4のチラシを持って市内の保育園を車で廻ったこともあった。
ただ店を並べるだけじゃ人は集まらない。なのでイベントをやろうとしても予算が無いため招くことが出来ない。でも地元の中にも危機感を持ってやってくれる人がいたおかげで、少ないながらイベントをやることができた月もあった。月もあったってことは毎月ではないってことだ。
出店数も少なかった。スペースとしては40くらい並べることが出来るのだが、30を切った月もあった。それも追加追加の繰り返しで30。こちらから連絡しようものなら「あんたのところは出店しても儲からないから止めておくよ。」と言われたこともあった。
まちおこしって複雑で、行政、商店街などの地元団体、商工会議所などが集まって、しかも1つの方向を向いてかなきゃならない。でも、人間だって育った家が違えばその家ごとに躾も違うように、それまで何十年もかかって形成された地域風土がそんなに簡単に変わるわけが無い。そりゃぁ「どう思ってんだ?」と思ったこともあった。
そんななかでも地元から粋な親父さんとかが力を貸してくれて、そして職場の方や他にも地元の皆さんが少ない人数ながら力をあわせ、それでも1年は続けることが出来た。そして俺はそのまちから今の職場へと帰ってきた。最後に顔役の魚屋さんにレポートのようなものを渡して。
そのまちを離れても気になるもので、HPを見ながら「お!やってるな。」と思っていた。
そして先日、そのまちからうちの職場に人事交流で来ている職員から、そのイベントの話を聞いた。そうか、もう離れて3年以上経つのか。と思ったら行ってみようと思った。
電車に乗って30分。久しぶりにその駅に降り立つ。俺が通っていた当時よりも空き店舗が増えた気がするが、それはまちの再開発の途中だからだろう。イベントが終わる頃の時間になってしまったが会場に着くと、当時もいたスタッフの方が迎えてくれた。そしてまちの顔役の魚屋さんも寿司を用意して待っていてくれた。
そして俺は当時と違う光景に驚いた。話を聞いたら更に驚いた。
今では出店数も40を超えることがほとんどらしい。そしてイベントの開催申し込みも色々な団体からあるということだ。さすがに昼をすぎると人通りも少なくなるが、それでも俺がいた当時とは活気が全然違う。スタッフもお揃いのTシャツを着ている。そして何よりも出店している人の表情が違う。これには驚いた。
開催回数は既に50回を超えたようで、すっかり地元のイベントとして定着しつつあるらしい。建物に垂れ幕まで飾ってあって、宣伝規模も増えている。相変わらず行政からの予算は無いようだけど、無けりゃ無いなりに工夫している様子が、そして当時とは比べ物にならないくらいの地元の皆さんの協力があった。改めて、俺がいなくなってからの皆さんの苦労や努力を感じることができた。
前述したが、地域風土のようなものは簡単には変わらない。人間も同じ。生まれてから何十年もかかって今があるんだから、それを変えることは一朝一夕にできることではない。でも人は勝手なもので、即効性を求める。地道に1つ1つ、一歩一歩というのが一番の近道であると分かっていても、更に近道を探してしまうのも人間。それは植物にも同じことが言えよう。
種をまいて、水や肥料を与え、そしてやっと花が咲き実がなる。
今にして思えばまちおこしも同じじゃないのかな?って感じる。
まちおこしの種を蒔いて、色々な人が携わることで水となり、肥料となり。でも途中で枯れてしまうことがあったりもしたと思う。それでもまた種まきして水をあげて・・・・・の繰り返し。それが50回を超えて今のようになった。
毎回参加している実行委員会のスタッフの皆さんは分からなかったかもしれないけど、久しぶりに行ってみた俺の眼には本当に大きな成長を感じることができたし、何よりも地元の、そこに住んでいる、そこで商売をやっている方々の意識が大きく変わっていることが嬉しかったし感動を覚えた。そして継続してきたスタッフの方々に、別に俺がすることではないかもしれないけど感謝の心で一杯になった。すごいよ!これは!!
間違っちゃいけないのは、今の姿は決して花が咲いたとか、実がなったという姿ではないこと。今はきっと生長途中で、もっともっと立派なモノにしていくのが目標だと思う。もし花のようなものが見えてもそれは仮の花で本物ではない。これは能楽者の世阿弥の記した「風姿花伝」に共通する考えではないだろうか。
これは長い年月がかかる作業で、しかもゴールが無いことだと思う。でも生長が手に取るように分かり、感じることができるんだから、きっとこのイベントは成功すると思う。
スタッフの姿も増えた。赤いTシャツを着たスタッフにはイケメンの兄ちゃんもいるし、若い女性もいる。俺の時にはいなかったじゃねぇか!!というくらい今は活気がある。
帰宅してから魚屋さんから頂いた鯖寿司を頂いた。ほんのり甘めで美味しい寿司だった。
こうやって離れてからも感じることができること。これが人事交流の良さだと思う。離れたところで電車で30分。また近いうちに行かせてもらおうと思った。今日は良い休日だった。
P.S.この文章の「まちづくり」を「チーム作り」に変えて読んでいただくと、タイガースのことが何となく想像できて来ませんか?
そのまちは、古くは宿場町だったのだが、現在は地方都市にありがちなシャッター通りや空き店舗が増えつつあるまち。どっからどうすれば?というのも考えていたものだ。
そのまちが俺が赴任する1ヶ月前から始めていたのは「市(いち)」。そう、中心部のスペースを利用して様々な人々が集まってきて、特産品やお店の出張所のような感じで特設売店を並べるというもの。これが1回目は大盛況だったらしいので月1回の開催で今後も継続しよう!と言うものだった。(もちろん、他にも仕事はあったのよ)
しかし柳の下に何匹もドジョウがいるわけも無く、2回目以降は徐々に下降線を辿っていた。
一所懸命やっている地元の役員さんは少なく、「誰かがやってくれるだろう。」という雰囲気があった。その「誰か」が俺が勤務する職場に当時はウェートがかかっていた。
職場の玄関に開催をお知らせする看板を立てる作業をしていても、他の部署の連中は冷ややかな目で「そんなことする必要があるの?」という人までいたりした。そんなことをしなくてもやっていけるって店もあったと思う。
子供が来れば親も一緒に来るんじゃないか?という声が職場から上がり、子供さんに配布してもらうようにA4のチラシを持って市内の保育園を車で廻ったこともあった。
ただ店を並べるだけじゃ人は集まらない。なのでイベントをやろうとしても予算が無いため招くことが出来ない。でも地元の中にも危機感を持ってやってくれる人がいたおかげで、少ないながらイベントをやることができた月もあった。月もあったってことは毎月ではないってことだ。
出店数も少なかった。スペースとしては40くらい並べることが出来るのだが、30を切った月もあった。それも追加追加の繰り返しで30。こちらから連絡しようものなら「あんたのところは出店しても儲からないから止めておくよ。」と言われたこともあった。
まちおこしって複雑で、行政、商店街などの地元団体、商工会議所などが集まって、しかも1つの方向を向いてかなきゃならない。でも、人間だって育った家が違えばその家ごとに躾も違うように、それまで何十年もかかって形成された地域風土がそんなに簡単に変わるわけが無い。そりゃぁ「どう思ってんだ?」と思ったこともあった。
そんななかでも地元から粋な親父さんとかが力を貸してくれて、そして職場の方や他にも地元の皆さんが少ない人数ながら力をあわせ、それでも1年は続けることが出来た。そして俺はそのまちから今の職場へと帰ってきた。最後に顔役の魚屋さんにレポートのようなものを渡して。
そのまちを離れても気になるもので、HPを見ながら「お!やってるな。」と思っていた。
そして先日、そのまちからうちの職場に人事交流で来ている職員から、そのイベントの話を聞いた。そうか、もう離れて3年以上経つのか。と思ったら行ってみようと思った。
電車に乗って30分。久しぶりにその駅に降り立つ。俺が通っていた当時よりも空き店舗が増えた気がするが、それはまちの再開発の途中だからだろう。イベントが終わる頃の時間になってしまったが会場に着くと、当時もいたスタッフの方が迎えてくれた。そしてまちの顔役の魚屋さんも寿司を用意して待っていてくれた。
そして俺は当時と違う光景に驚いた。話を聞いたら更に驚いた。
今では出店数も40を超えることがほとんどらしい。そしてイベントの開催申し込みも色々な団体からあるということだ。さすがに昼をすぎると人通りも少なくなるが、それでも俺がいた当時とは活気が全然違う。スタッフもお揃いのTシャツを着ている。そして何よりも出店している人の表情が違う。これには驚いた。
開催回数は既に50回を超えたようで、すっかり地元のイベントとして定着しつつあるらしい。建物に垂れ幕まで飾ってあって、宣伝規模も増えている。相変わらず行政からの予算は無いようだけど、無けりゃ無いなりに工夫している様子が、そして当時とは比べ物にならないくらいの地元の皆さんの協力があった。改めて、俺がいなくなってからの皆さんの苦労や努力を感じることができた。
前述したが、地域風土のようなものは簡単には変わらない。人間も同じ。生まれてから何十年もかかって今があるんだから、それを変えることは一朝一夕にできることではない。でも人は勝手なもので、即効性を求める。地道に1つ1つ、一歩一歩というのが一番の近道であると分かっていても、更に近道を探してしまうのも人間。それは植物にも同じことが言えよう。
種をまいて、水や肥料を与え、そしてやっと花が咲き実がなる。
今にして思えばまちおこしも同じじゃないのかな?って感じる。
まちおこしの種を蒔いて、色々な人が携わることで水となり、肥料となり。でも途中で枯れてしまうことがあったりもしたと思う。それでもまた種まきして水をあげて・・・・・の繰り返し。それが50回を超えて今のようになった。
毎回参加している実行委員会のスタッフの皆さんは分からなかったかもしれないけど、久しぶりに行ってみた俺の眼には本当に大きな成長を感じることができたし、何よりも地元の、そこに住んでいる、そこで商売をやっている方々の意識が大きく変わっていることが嬉しかったし感動を覚えた。そして継続してきたスタッフの方々に、別に俺がすることではないかもしれないけど感謝の心で一杯になった。すごいよ!これは!!
間違っちゃいけないのは、今の姿は決して花が咲いたとか、実がなったという姿ではないこと。今はきっと生長途中で、もっともっと立派なモノにしていくのが目標だと思う。もし花のようなものが見えてもそれは仮の花で本物ではない。これは能楽者の世阿弥の記した「風姿花伝」に共通する考えではないだろうか。
これは長い年月がかかる作業で、しかもゴールが無いことだと思う。でも生長が手に取るように分かり、感じることができるんだから、きっとこのイベントは成功すると思う。
スタッフの姿も増えた。赤いTシャツを着たスタッフにはイケメンの兄ちゃんもいるし、若い女性もいる。俺の時にはいなかったじゃねぇか!!というくらい今は活気がある。
帰宅してから魚屋さんから頂いた鯖寿司を頂いた。ほんのり甘めで美味しい寿司だった。
こうやって離れてからも感じることができること。これが人事交流の良さだと思う。離れたところで電車で30分。また近いうちに行かせてもらおうと思った。今日は良い休日だった。
P.S.この文章の「まちづくり」を「チーム作り」に変えて読んでいただくと、タイガースのことが何となく想像できて来ませんか?