打たれたらどうするんじゃ?! 打たれません!!
タイガースファンでも広島カープは嫌いではない。そんな人は多いと思う。それは僕も同じ。タイガースにはこのところ毎年広島から来た選手がいるという理由だけでもない。
赤ヘル軍団という愛称でプロ野球界を制していた時期もあるチーム。地域密着型で、財政難の時期には樽募金などでファンがチームを支えた球団。この球団が再び成功することが新しい日本プロ野球の姿かもしれない。とまぁ、そんな風にも思う。
その練習は12球団一と言われる厳しさがあり、若手を獲得して徹底的に鍛えて使う。それはお家芸というより家風と言っても差し支えない伝統である。
ただし、マネーレースはできないためか、FA宣言を認めていない。金本選手もFA権利を獲得した際に広島残留を前提に「成績が悪かったから年俸が下がっても構わない。再契約金は1,000円でもいいからFA宣言させてくれ。」と言ったとされる話は有名だが、それでも「君の場合はいいかもしれないけど、今後宣言する選手にはそうもいかなくなる。」とかで結局金本選手放出へと流れは傾いていった。
その広島東洋カープには津田恒美(途中から『津田恒実』に改名。ただし本文では「恒美」とさせていただきます)という選手がいた。まるでグランドで飛び跳ねるかのように躍動するプレーぶりについたのは【炎のストッパー】という愛称。まさにそのごとく、炎が出そうなストレートで相手を押さえ込んでいった。
現在のストッパー像を見ると決め球が変化球の選手が多い。佐々木選手のフォーク、高津選手のシンカー、小林選手の高速シュート系など。でも津田選手の決め球は問答無用のストレート。今で言ったらヤクルトの五十嵐亮太選手より少しだけ球速が遅いけど(それでも150km/h前後)キレは遥かにそれ以上という選手だった。
津田選手が自らに言い聞かせていた言葉が「弱気は最大の敵」というもの。元々ノミの心臓だった彼に臨時コーチが与えた言葉だ。その言葉を胸に、不安があったかもしれないマウンド上でも決してその姿を見せることなく、強気のストレート1本勝負!!そんな選手だった。
津田さんは平成3年開幕早々に脳腫瘍が発見され、ついに2度とマウンドに立つことが無かった。津田さんの事に関しては、様々な書籍で書かれているから詳しくはそちらを読んでいただいた方がいいけど、今日の報道では広島投手陣が帽子のつばの裏にこの言葉を書き込んでキャンプインしたと伝えられている。(津田さんの魂 受け継ぎます @デイリー)
広島市民球場のライト側のブルペンには生前の津田さんの功績を称える1枚のプレートが埋め込まれているそうだ。そしてそのプレートには、『「笑顔」と「闘志」を忘れなかった男』と書かれている。そのような偉大な選手の魂を刻んで投げる広島選手陣は今年も強敵になると思う。
広島のスポーツ界には時々不世出の選手が出る。日本代表及び専売広島(現JT)バレーボール部の名セッター猫田氏、そして津田さん。でもいずれも癌で倒れている。そして最後まで生きることだけでなく、プレーすることを諦めない姿勢。広島という土地はかくも強い意思を持つ土地なのだろうか?様々な文献を読むにつけ、そう思わずにいられない。
でも、実はタイガースにも弱気は最大の敵とする現役生活を送ったコーチがいた。その人の名は西本聖さん。2003年の投手コーチだ。140km/h出るかどうかの球速だったけど、果敢に得意のシュートで内角を攻め、読売を優勝に導いていた方だ。
その西本さんが投手コーチとしてブルペンにいた頃、リリーフとしてマウンドに上がる選手とブルペンで胸座(むなぐら)を掴み合って殴りあう寸前までに声を荒げていたという話を思い出した。
「おい!お前!!そんなことで打たれたらどうするんだ!!」と声を荒げる西本氏、その声に対し「絶対に打たれません!!」と言い返す投手。このやり取りが2003年の磐石の中継以降を作り上げていた。
【弱気は最大の敵】 津田さんが伝えてくれた言葉は広島東洋カープに今も息づく。でもタイガースにもその息吹はきっと残されている。
弱気にならず、相手が強ければ強いほど、窮地になればなるほど闘志を燃やし戦い抜く。猛虎魂ってのはそういうものだ。
赤ヘル軍団という愛称でプロ野球界を制していた時期もあるチーム。地域密着型で、財政難の時期には樽募金などでファンがチームを支えた球団。この球団が再び成功することが新しい日本プロ野球の姿かもしれない。とまぁ、そんな風にも思う。
その練習は12球団一と言われる厳しさがあり、若手を獲得して徹底的に鍛えて使う。それはお家芸というより家風と言っても差し支えない伝統である。
ただし、マネーレースはできないためか、FA宣言を認めていない。金本選手もFA権利を獲得した際に広島残留を前提に「成績が悪かったから年俸が下がっても構わない。再契約金は1,000円でもいいからFA宣言させてくれ。」と言ったとされる話は有名だが、それでも「君の場合はいいかもしれないけど、今後宣言する選手にはそうもいかなくなる。」とかで結局金本選手放出へと流れは傾いていった。
その広島東洋カープには津田恒美(途中から『津田恒実』に改名。ただし本文では「恒美」とさせていただきます)という選手がいた。まるでグランドで飛び跳ねるかのように躍動するプレーぶりについたのは【炎のストッパー】という愛称。まさにそのごとく、炎が出そうなストレートで相手を押さえ込んでいった。
現在のストッパー像を見ると決め球が変化球の選手が多い。佐々木選手のフォーク、高津選手のシンカー、小林選手の高速シュート系など。でも津田選手の決め球は問答無用のストレート。今で言ったらヤクルトの五十嵐亮太選手より少しだけ球速が遅いけど(それでも150km/h前後)キレは遥かにそれ以上という選手だった。
津田選手が自らに言い聞かせていた言葉が「弱気は最大の敵」というもの。元々ノミの心臓だった彼に臨時コーチが与えた言葉だ。その言葉を胸に、不安があったかもしれないマウンド上でも決してその姿を見せることなく、強気のストレート1本勝負!!そんな選手だった。
津田さんは平成3年開幕早々に脳腫瘍が発見され、ついに2度とマウンドに立つことが無かった。津田さんの事に関しては、様々な書籍で書かれているから詳しくはそちらを読んでいただいた方がいいけど、今日の報道では広島投手陣が帽子のつばの裏にこの言葉を書き込んでキャンプインしたと伝えられている。(津田さんの魂 受け継ぎます @デイリー)
広島市民球場のライト側のブルペンには生前の津田さんの功績を称える1枚のプレートが埋め込まれているそうだ。そしてそのプレートには、『「笑顔」と「闘志」を忘れなかった男』と書かれている。そのような偉大な選手の魂を刻んで投げる広島選手陣は今年も強敵になると思う。
広島のスポーツ界には時々不世出の選手が出る。日本代表及び専売広島(現JT)バレーボール部の名セッター猫田氏、そして津田さん。でもいずれも癌で倒れている。そして最後まで生きることだけでなく、プレーすることを諦めない姿勢。広島という土地はかくも強い意思を持つ土地なのだろうか?様々な文献を読むにつけ、そう思わずにいられない。
でも、実はタイガースにも弱気は最大の敵とする現役生活を送ったコーチがいた。その人の名は西本聖さん。2003年の投手コーチだ。140km/h出るかどうかの球速だったけど、果敢に得意のシュートで内角を攻め、読売を優勝に導いていた方だ。
その西本さんが投手コーチとしてブルペンにいた頃、リリーフとしてマウンドに上がる選手とブルペンで胸座(むなぐら)を掴み合って殴りあう寸前までに声を荒げていたという話を思い出した。
「おい!お前!!そんなことで打たれたらどうするんだ!!」と声を荒げる西本氏、その声に対し「絶対に打たれません!!」と言い返す投手。このやり取りが2003年の磐石の中継以降を作り上げていた。
【弱気は最大の敵】 津田さんが伝えてくれた言葉は広島東洋カープに今も息づく。でもタイガースにもその息吹はきっと残されている。
弱気にならず、相手が強ければ強いほど、窮地になればなるほど闘志を燃やし戦い抜く。猛虎魂ってのはそういうものだ。