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タテジマとファイブアローズに魅せられて

阪神タイガースはもちろん、Bリーグの香川ファイブアローズも応援中。
野球もバスケも素人目線です。お手柔らかに!
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田村勤という男
 何年もタイガースを応援しているファンなら『田村勤』という選手を覚えている人も多いだろう。

 今日は親戚の集まりだったんだけど、田村選手と同郷の人もいて、僕がタイガースファンということで田村選手の話を聞かせてくれた。

 田村選手といえば、左のサイドスローで、キレのあるストレートとカーブが武器だった記憶がある。

 でも田村選手は高校時代は左のオーバースローの本格派だったということだ。しかもプロの10球団のスカウトが田村選手をマークしていたらしい。

 しかし田村選手は高卒時にドラフトで指名されなかった。理由は『ノーコン』だったから。ストレートの球速は140km/hを超えていたらしいが、コントロールに難がありプロの指名を獲得できなかったということだ。

 その田村選手、サイドスローにしたのは社会人・・・たしか本田技研だったと思うけど・・・の時だったらしい。そして頭角を現し、タイガースに入団、抑えの切り札として活躍する。

 酷使がたたったのか分からないけど、田村選手は肘を故障する。そしてタイガースからオリックスへ移籍する。

 オリックスでも故障との闘いだった。田村選手の出場するファームの試合を観に行った人が以前僕と同じ職場にいたけど、ファームの選手では田村選手の球を打てなかったらしい。でも1軍では通用する威力を取り戻すことはできず、また戦力としても微妙な扱いを受ける。

 本人は現役続行の意思があったというけど、結局は引退を決める。光が当たったのは短い時間だったけど、まさに一瞬の輝きは稲妻のような閃光!!そんな現役生活だった。

 田村選手は現在、地元に戻って生活されているそうだ。ってことは僕が住んでいるところから電車で30分の小さなまちにいるってことだ。ぶらぶらしていれば会えるかもしれない。それほど小さなまちにいる。

 でも最後にイイ話も聞けた。田村選手は1軍にいるときもファームにいるときも、現役でいるうちは母校に毎年欠かさず野球用具を贈っていたそうだ。ルーキーのときなんて年俸も安いだろうけど、それでも欠かさずに。それは活躍しているときもそうじゃないときも変わらずに母校には毎年新品のボールやバットなどが届けられたということだ。

 彼の母校は県内でも「どちらかといえば強い」程度の高校だ。甲子園に近い高校じゃないけれど、甲子園で培ったものは今でもきっと彼の母校に、彼の届けた野球用具と共に息づいているはずだ。
10.31
| タテジマに想いを | 16:57 | comments(0) | trackbacks(0) |









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