勝手に選手名鑑1
80岡田彰布(監督)
気がついたら5年目を迎える久々に長期政権の監督。口下手なので様々に誤解が生じることがあるが、きっと凄く正直な人なんだと思う。
前監督がなにしろJAPANの監督になった人なので、4位、優勝、2位、3位という成績であるにもかかわらず誉める人よりも貶す人のほうが多いという損な時期に監督をやっている人。
「そらそうよ。」が口癖のように思われているが、勝利監督インタビューでは「なんていうか、あの〜。」と言う方が圧倒的に多い。個人的に注目は、一昨年は黒のバンドの腕時計だったが昨年は黄色のバンドの腕時計だったこと。さて、今年は何色の腕時計なんだろうか?
以前、握手をして頂いたことがあるのだが、驚くほど手が柔らかかったです。
84久保康生(チーフ投手コーチ)
現役時代はタイガースでも投げた方。近鉄時代に岩隈を育て、タイガースでは杉山直久がフォーム改良で岩隈のようになったことで、全員岩隈になっちゃうんじゃないかと俺は密かに心配していた。
既定投球回数に達した投手が1人もいなかった昨年なので、今年も先発投手が振るわなければ責任問題になると思われるので、尻に火がついた1年となる見込み。どうか能見を1人前にしてください。
76吉竹春樹(チーフ野手兼打撃コーチ)
現役時代は俊足外野手。背番号は53だったはず。実は阪神と西武という両リーグで日本一を経験している珍しい方。西武で日本一は置いといても阪神で日本一はどう考えても貴重。
昨年は3塁で腕をグルグルやって一部で「壊れた信号機」という異名を頂戴した。信号は赤信号よりも青信号が出っ放しになることが多かった。
今年はベンチにいるとのこと。昨年、岡田監督が退場になった際には監督代行を務めた。そして鳥谷がサヨナラ押し出し死球を喰らって勝った。
91木戸克彦(作戦兼バッテリーコーチ)
解説者を経てタイガースに復帰。ファームでは鬼監督だった。現役時代は1試合3本塁打という記録も持つ。あれ?3本だったよね?
今は真ん丸な顔だが、現役時代はクッキリした顔で男前だった。それが今はインタビューや解説で必ず言わなきゃ気がすまないギャグを一発。「木戸ギャグ」と名づけてみた。
今年は伸び悩む“ポスト矢野”育成に着手。キャッチングの名手。(晩年は)強肩ではないがスローイングの名手だった腕前をふるって欲しい。
71中西清起(投手コーチ)
どっちかというとブルペン中心。昔々はモデルのような格好をして雑誌に載っていた。西崎とか渡辺久とか星野伸さんも一緒にね。
実は高校は球児投手の大先輩。最近は高知といえば明徳義塾だが、中西さんの頃は高知商業が常連だった。抑えというイメージが強いが、暗黒時代は先発もこなした。今で言ったら久保田投手が近いタイプかもしれない。
85広澤克実(打撃コーチ)
現役時代はヤクルトの主砲。そして讀賣とタイガースで4番打者を務めた。
しかし一番有名なのはおそらくお立ち台で六甲颪斉唱。「日本一になったら歌いましょう!」と言ったら日本一になれなかった。別に「明日も勝つ!」と言ったわけではない。
少し古いファンなら思い出すのはヤクルト入団時に「なんか近所の草野球のユニフォームみたい。。。」とか言ってしまったこと。そりゃぁ当時は明治大学のユニフォームのほうが良かったのかもねぇ。
86和田 豊(守備走塁コーチ)
暗黒時代を支えた名選手。大野久、中野と共に少年隊と名づけられる。その3人の中では一番結果を残した。
右打ちの名人でもあり、その極意は「右へ流すのではなく、右打者だけど右へ引っ張る感じ。」と自身で形容し、開幕からの安打連続試合記録も作った(はず)。
バントも名手であり、当時の日本記録も保持した(はず)。
教員免許も持っている理論派?って感じか??日々更新される日記の合言葉は“最後に笑おう”。俺も非常に強く影響を受けています。
89山脇光治(守備走塁コーチ)
現役時代は背番号4。守備固めとか代走とか、色々な場面で出てきた。だから生き残るために1つのプレーに集中する姿を伝えて欲しい。現役時代のその系譜は秀太に引き継がれている(?)。小柄な選手で阪神一筋。コーチでありながらも静岡で行われるOB戦には何度も来てくれているという点で俺は好印象を持っている。
81吉田康夫(ブルペンコーチ)
ブルペンコーチであるため、普段はテレビがベンチを映してもそれほど映らないんじゃないかと思うけど、この人も暗黒時代を支えてくれた選手だった。
90続木敏之(トレーニングコーチ)
トレーニングコーチなのだが、どうもタイガースは怪我人が多い気がすると言うか、怪我しやすいというか、怪我に弱い気がするのは気のせいだろうか?ここは1つ、阪神鉄人化計画でも始めてみたらどうだろう??
気がついたら5年目を迎える久々に長期政権の監督。口下手なので様々に誤解が生じることがあるが、きっと凄く正直な人なんだと思う。
前監督がなにしろJAPANの監督になった人なので、4位、優勝、2位、3位という成績であるにもかかわらず誉める人よりも貶す人のほうが多いという損な時期に監督をやっている人。
「そらそうよ。」が口癖のように思われているが、勝利監督インタビューでは「なんていうか、あの〜。」と言う方が圧倒的に多い。個人的に注目は、一昨年は黒のバンドの腕時計だったが昨年は黄色のバンドの腕時計だったこと。さて、今年は何色の腕時計なんだろうか?
以前、握手をして頂いたことがあるのだが、驚くほど手が柔らかかったです。
84久保康生(チーフ投手コーチ)
現役時代はタイガースでも投げた方。近鉄時代に岩隈を育て、タイガースでは杉山直久がフォーム改良で岩隈のようになったことで、全員岩隈になっちゃうんじゃないかと俺は密かに心配していた。
既定投球回数に達した投手が1人もいなかった昨年なので、今年も先発投手が振るわなければ責任問題になると思われるので、尻に火がついた1年となる見込み。どうか能見を1人前にしてください。
76吉竹春樹(チーフ野手兼打撃コーチ)
現役時代は俊足外野手。背番号は53だったはず。実は阪神と西武という両リーグで日本一を経験している珍しい方。西武で日本一は置いといても阪神で日本一はどう考えても貴重。
昨年は3塁で腕をグルグルやって一部で「壊れた信号機」という異名を頂戴した。信号は赤信号よりも青信号が出っ放しになることが多かった。
今年はベンチにいるとのこと。昨年、岡田監督が退場になった際には監督代行を務めた。そして鳥谷がサヨナラ押し出し死球を喰らって勝った。
91木戸克彦(作戦兼バッテリーコーチ)
解説者を経てタイガースに復帰。ファームでは鬼監督だった。現役時代は1試合3本塁打という記録も持つ。あれ?3本だったよね?
今は真ん丸な顔だが、現役時代はクッキリした顔で男前だった。それが今はインタビューや解説で必ず言わなきゃ気がすまないギャグを一発。「木戸ギャグ」と名づけてみた。
今年は伸び悩む“ポスト矢野”育成に着手。キャッチングの名手。(晩年は)強肩ではないがスローイングの名手だった腕前をふるって欲しい。
71中西清起(投手コーチ)
どっちかというとブルペン中心。昔々はモデルのような格好をして雑誌に載っていた。西崎とか渡辺久とか星野伸さんも一緒にね。
実は高校は球児投手の大先輩。最近は高知といえば明徳義塾だが、中西さんの頃は高知商業が常連だった。抑えというイメージが強いが、暗黒時代は先発もこなした。今で言ったら久保田投手が近いタイプかもしれない。
85広澤克実(打撃コーチ)
現役時代はヤクルトの主砲。そして讀賣とタイガースで4番打者を務めた。
しかし一番有名なのはおそらくお立ち台で六甲颪斉唱。「日本一になったら歌いましょう!」と言ったら日本一になれなかった。別に「明日も勝つ!」と言ったわけではない。
少し古いファンなら思い出すのはヤクルト入団時に「なんか近所の草野球のユニフォームみたい。。。」とか言ってしまったこと。そりゃぁ当時は明治大学のユニフォームのほうが良かったのかもねぇ。
86和田 豊(守備走塁コーチ)
暗黒時代を支えた名選手。大野久、中野と共に少年隊と名づけられる。その3人の中では一番結果を残した。
右打ちの名人でもあり、その極意は「右へ流すのではなく、右打者だけど右へ引っ張る感じ。」と自身で形容し、開幕からの安打連続試合記録も作った(はず)。
バントも名手であり、当時の日本記録も保持した(はず)。
教員免許も持っている理論派?って感じか??日々更新される日記の合言葉は“最後に笑おう”。俺も非常に強く影響を受けています。
89山脇光治(守備走塁コーチ)
現役時代は背番号4。守備固めとか代走とか、色々な場面で出てきた。だから生き残るために1つのプレーに集中する姿を伝えて欲しい。現役時代のその系譜は秀太に引き継がれている(?)。小柄な選手で阪神一筋。コーチでありながらも静岡で行われるOB戦には何度も来てくれているという点で俺は好印象を持っている。
81吉田康夫(ブルペンコーチ)
ブルペンコーチであるため、普段はテレビがベンチを映してもそれほど映らないんじゃないかと思うけど、この人も暗黒時代を支えてくれた選手だった。
90続木敏之(トレーニングコーチ)
トレーニングコーチなのだが、どうもタイガースは怪我人が多い気がすると言うか、怪我しやすいというか、怪我に弱い気がするのは気のせいだろうか?ここは1つ、阪神鉄人化計画でも始めてみたらどうだろう??