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タテジマとファイブアローズに魅せられて

阪神タイガースはもちろん、Bリーグの香川ファイブアローズも応援中。
野球もバスケも素人目線です。お手柔らかに!
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白仁田選手が目指す背番号47の大投手
 島野さんの告別式が兵庫県西宮市で、先日ご他界された稲尾さんの市民葬が大分県別府市で行われた。

 球団や時代は違えど野球界を支え続けてくださった偉大なる先人のご冥福を改めて心からお祈り申し上げます。

 タイガースではこれからチームを支えてくれるはずの新人選手の入団会見が行われた。その中で白仁田選手が伝説の名投手、小山正明さんに少しでも近付きたいと語ったようだ。

 小山さんは1973年に現役引退をされているので当然ながら白仁田選手は現役時代を見ていない。お父さんくらいの方が観ているんだろうなってことだと思う。今はタイガースVS讀賣のOB戦で必ず先発して打者1人だけ投げるのだが、これがまたストライクゾーンに投げ込むのである。73歳の今でもそれは健在だった。

 こういった球団の大先輩を知るということはとても重要なことだと考える。よその球団ではV9時代を支えた名選手がグランドに来ても誰だか分からなかったという若手選手がいたと報道されたこともあったが、この偉大な先輩を知るということは、自分がつける背番号を誰がどんな思いで着けてきたかということを考えるだけでも身が引き締まるのではないか。

 これは白仁田選手だけの問題ではなく、すでに入団しているが大城選手がつけている63番などは新人の頃の新庄(SHINJO)選手がつけていた番号でもある。大きな背番号から出世して行ったのだ。

 その大投手の小山さん。入団当時はなんと打撃投手扱い。しかしそこで培った制球力は“精密機械”と呼ばれるほどのコントロールで勝ち星を重ねていった。しかも球児投手に抜かれるまでは連続無失点イニングの記録を持った方だった。

 タイプ的には白仁田選手とはきっと違う。白仁田選手は肩の怪我のリハビリ途中だが、小山さんは怪我をしない本当に丈夫な投手だったそうだ。

 現在は時々、甲子園球場での試合のときに解説をされている。だから白仁田投手も1軍で登板すれば背番号47の大先輩の前で投球を披露する機会がやってくる。そのときには是非とも小山さんに「いい投手ですよ。」と誉めてもらえるようになって欲しいものだ。

 というのは、小山さんの投手に対する解説はけっこう辛口で有名。口癖のように「今の投手は投げ込みが足らんのです。」とおっしゃる。これも打撃投手扱いで先輩打者の打撃練習を自分の投球練習にしていたであろう小山さんならではの解説である。

 背番号47といえば横浜の工藤投手が40過ぎた今も現役で投げているので長寿の番号のように思われているが、これは別に工藤投手だけではない。小山さんだって39歳になる年まで投げている。偉大な先輩の名前を出した以上、それに相応しい努力が必要。

 人が見ていない場所で努力。人が見ていたって努力。それだけ頑張っても比較される存在になれるかどうか・・・・・小山さんはそれくらい偉大な金字塔を立てた方なのだ。
| タテジマに想いを | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) |









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