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タテジマとファイブアローズに魅せられて

阪神タイガースはもちろん、Bリーグの香川ファイブアローズも応援中。
野球もバスケも素人目線です。お手柔らかに!
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黄金のマサカリ(非阪神)
 元ロッテ・オリオンズ(現千葉ロッテ・マリーンズ)のエースだった村田兆治さんが野球殿堂入りを果たされた。このニュースは僕としてはかなり嬉しかった。殿堂入り…村田氏生涯マサカリ@デイリー

 現役時代の村田さんのチームは、お世辞にも強いとはいえなかったチーム・・・というかはっきり言ってBクラスが多かったロッテでずっとエースを務めていた。

 独特のマサカリ投法(思いっきり足を振り上げて、マサカリを振り下ろすかのように投げる)で、あの狭い川崎球場で、あの弱かったロッテで215勝をあげた。もしも現役当時強かった阪急ブレーブス(現オリッ鉄)にいたら、300勝くらいしたんじゃないか?そのくらいの投手だった。同時期の投手のライバルは山田久志さん(阪急)、鈴木啓示さん(近鉄)、東尾修さん(クラウンライター)だったと記憶している。

 1981年に最多勝に輝いたが、肘の故障で83年には渡米してF・ジョーブ博士の執刀で手術する。当時は肘にメスを入れるなどと言うことは今ほどポピュラーではなく、むしろ投手生命の終わりという感覚だった。しかし村田氏の現役生活にかける執念ともいえる熱意は誰も歩かなかった肘へのメスという道を切り開く。

 そして3年近いリハビリを超えて1985年に奇跡ともいえる復活。中6日のローテで毎週日曜日に登板する姿から「サンデー兆治」と呼ばれた。僕の記憶の中で一番鮮明に残っているのはこの頃の姿だ。復活した剛速球とフォークボールで17勝をあげた85年、女房役の袴田捕手(現千葉ロッテのコーチ)とマウンドでグラブを口元に当てながら会話する姿は印象に残っている。この時代の「鉄人」といえば打者では衣笠さん(広島)、投手では兆治さんだった。

 村田さんは現役引退後、ダイエー(当時)の投手コーチなどにも就任したが、それよりも何よりもすごいのはマスターズリーグで50歳を過ぎた今でも球速140km/hを超える球を投げ込んでしまうところだ。現役でも140km/h超えない選手もいるなかで、引退後10数年経過しているにも関わらず今でもこの球速。マスターズリーグに置いておくのはもったいない気もする。

 現在はマスターズリーグでプレーしながら、名球会の活動、そして離島で野球を伝道する活動を続ける。「速い球を投げると子供が喜ぶ。」という理由で速球に今もこだわる。子供を喜ばせることができるということは、自らも子供の視点で今でも野球を見ることができるということなんだろう。

 永遠の野球人、不世出の鉄人、稀代の大投手。そして常に丁寧な受け答えで謙虚な姿勢。誉めても誉めすぎということが無い数少ない投手と言っても過言ではない。

 名球会は記録で入会資格を得るけど、野球殿堂は記録だけじゃない部分も評価される。そういう点では村田さんの殿堂入りは本当に氏に相応しい栄誉だと思う。湖から女神が持って出てきたマサカリは本人には普通のマサカリであっても、僕たちには眩しすぎるくらい、金色に誇らしげに輝く黄金のマサカリだった。

 村田兆治さん、野球殿堂入り本当におめでとうございます。村田さんなら還暦過ぎても140km/hを超える投球を見せてくれると信じています。

 タイガースの選手からも後に続く投手が出るといいなぁ。



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| T−コラム | 21:53 | comments(2) | trackbacks(0) |